2022年初春文楽公演『寿式三番叟』『菅原伝授手習鑑』@国立文楽劇場

2022文楽初春公演、国立文楽劇場のにらみ鯛

初春公演、初めての『寿式三番叟』。
いつも新春から暗い演目オンパレードだったりするので、こういう賑やかで楽しいお正月にぴったりな演目がひとつあるとうれしい。
定番化してくれてもいいくらい。

『寿式三番叟』(ことぶきしきさんばんそう)

あらすじ

能舞台を模した松羽目の舞台に、千歳(せんざい)、翁(おきな)、二人の三番叟が登場します。
翁の謡の後、千歳が颯爽と舞います。その後、翁が神格を得るための面(おもて)を付けて格調高く舞い、天下泰平、国土安穏、長久円満、息災延命を祈願します。
翁が面を外して一礼し舞台を去ると、三番叟が袖を振って軽快な連れ舞いを舞います(揉みの段)。
続けて、三番叟は千歳に渡された鈴を振りながら種を蒔く仕草をして舞台の四方を巡り、五穀豊穣、子孫繁栄を願います(鈴の段)。
曲も次第に速さを増していきます。一人が疲れて休もうとするのをもう一人が励ましながら、賑やかにめでたく舞い納めます。

千歳の靖さん&幹市さん、とっても素敵だった。まさに「颯爽」という言葉がぴったりな雰囲気。翁(和夫さん)は観ているだけでおめでたくありがたい気持ちになるというか、なんというか。あらためてすごいなと思いました(小学生の作文)
三番叟の後半、鈴の段で、お二人の振り?というのか、鈴の扱いの違いがすごく気になってしまった。
昔、家業の関係で同じように鈴を持って踊ったことが何度かある。鈴を持って踊る、というのは、単に鈴を振って音を鳴らすだけでなく、鳴らすところ鳴らさないところ、鈴の意味、音、など振り以外にも気を遣うところが多く非常に難しかった。
それを人形で遣るというのだから、さらに難しいと思う。重い人形を持ちながら鈴を振る、なんて、想像しただけで手首が相当なことになりそう…
玉勢さんびいきだからということでもないけれど、鈴の振りがしっかりと種まきに見えて、激しく動き回る中でもぶれずに踊っておられて、ますます私の中の玉勢さん株が爆上がり。
三味線やおはやしも素晴らしくて、これは観ていてテンションが上がります。ほんと、年一でお願いしたい。

『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)

寺入りの段(てらいりのだん)
寺子屋の段(てらこやのだん)

上演された段のあらすじと感想など

菅丞相の家来であった武部源蔵(たけべげんぞう)は、芹生の里で妻の戸浪と寺子屋を営んでいます。源蔵は菅丞相の流罪にあたりその息子の菅秀才(かんしゅうさい)を実子と偽り匿り育てています。源蔵が留守で寺子屋のこどもたちは大騒ぎしている中でも菅秀才だけは真面目に勉強しています。そこに、母親に連れられて小太郎という子が寺入り(寺子屋に入学)に来ます。源蔵が留守と聞いた母親の千代(ちよ)は小太郎を預け、隣村での用事を済ませてまた戻ると出掛けました。(寺入りの段)

時平の家来から菅秀才の首を差し出すよう迫られた源蔵は、自分の留守中に弟子入りした小太郎を身代わりに立てることを決意します。検分役の松王丸は菅秀才の顔を知っているにも関わらず小太郎を菅秀才と断定し引き上げました。ほっとする源蔵夫婦の元へ小太郎の母親が迎えに来ました。困った源蔵がやむなく斬りかかると、母親は、小太郎が身代わりとして役に立ったか、と問いかけます。どういうことかと驚く源蔵の前に再び松王丸が現れ、小太郎は自分の子であり、その母親は妻の千代だと告げます。そして、菅丞相の恩を受けながらも敵方の時平の家来となった自分がその恩に報いるため、菅秀才の身代わりとして小太郎を寺入りさせたのだと明かすのでした。(寺子屋の段)

2019年6月の文楽鑑賞教室で観て以来の二つの段。
まず、千代(勘彌さん)がめちゃくちゃよかった。一度は観劇済みでお話も知っているから今回は泣くことはないだろうと高をくくっていたら、まず千代に泣かされたわ…
息子を身代わりにする、という残酷すぎる決意を固めてやって来た寺入りの時、慌てて戻ってくる時の変わりぶりがあまりにリアルだった。こんな状況、現代ではありえないけれど、もし実際あるなら人間こんな風になるのでは、というリアルさ。
千代の後ろ姿が哀しすぎてたまらなかったなあ。哀しくも美しいいろは送りは、観ている者にもひたひたと千代の心が伝わってくるようだった。
錦秋公演で観た『ひらかな盛衰記』のおよしといい、すっかり勘彌さんのファンになってしまった。およしと千代は境遇も性格も年齢も全く違うのに、ぐっと掴まれました。

そして、念願の玉男さんの松王丸。登場から圧倒的存在感。
鑑賞教室で観たときは、松王丸のあまりの病みっぷりに、大丈夫?!と心配になるほどだったけれど、今回の松王丸はそこまでではなかった。たぶん本来はこれぐらいの病み度なんだろうと思う。
玉男さんのお人形って、いつも安心感があるんだよなあ。お人形としてしっかりと存在してくれているので、余計なものが入ってこず物語に集中できる気がする。
小太郎が自分の運命を受け入れて、気丈に最期を迎えたことを聞いた松王丸の姿がやりきれなかった。恩に報いるためにわが子を身代わりに、などという非情さと、息子を喪った大の男が見せる涙という人間臭さの対比に泣かされる。後半は涙が止まらず困りました…
寺子屋の段は、前も切も素晴らしかった。

2019年6月 文楽鑑賞教室 後半午前の部『五条橋』『菅原伝授手習鑑』@国立文楽劇場

現在、国立文楽劇場のHPで、研修生募集に際して研修修了生のインタビューが載っていて、これがとっても興味深く面白い。
(2月2日現在、人形の吉田玉路さんと三味線の鶴沢清公さんのお二人)
文楽の世界は世襲制ではないので、何をきっかけに飛び込んだのか、研修ってどのようなものなのか、お弟子さんって何をしているの?などなど、知らなかったことがたくさん赤裸々(笑)に書かれていて読み応えあり。
来月は太夫さんかな。

人形 吉田玉路さん

三味線 鶴澤清公さん

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