1部だけ別日程での観劇。土曜日だから平日よりは入っているかなと思ったけれど、それほどでもなく。ところでこの初春公演からなぜ2席連席で1席空けて、という並びになったのだろうか。錦秋公演のときは確か全席隣は空けていたような。文楽のお客様って連れだっての方もおられるけれど、おひとり様率がかなり高いと思う(特に前方の席)私も基本おひとり様観劇だし、できるならば1席飛ばしに戻してもらえたらなあと思ってしまう。周りに空席がたくさんあるなか、見ず知らずのもの同士が連席って、ちょっとつらいです…
◆『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)
車曳の段(くるまびきのだん)
茶筅酒の段(ちゃせんざけのだん)
喧嘩の段(けんかのだん)
訴訟の段(そしょうのだん)
桜丸切腹の段(さくらまるせっぷくのだん)
三つ子の梅王丸(うめおうまる)、松王丸(まつおうまる)、桜丸(さくらまる)は、それぞれ右大臣の菅丞相(かんしょじょう)、左大臣の藤原時平(ふじわらのしへい)、帝の弟、斎世親王(ときよしんのう)に舎人として仕えています。桜丸と妻の八重(やえ)は斎世親王と菅丞相の養女、苅屋姫(かりやひめ)との密会の手引きを口実として天下掌握を企む時平の中傷により親王は失脚、菅丞相は筑紫へ流罪となってしまいます。
京の吉田神社の近くで会う梅王丸と桜丸。梅王丸は菅丞相を追うべきか行方不明の菅丞相の妻、御台所(みだいどころ)を探すべきか迷い、桜丸は菅丞相が流罪になった原因をつくったことを悔やみ、切腹の覚悟を決めています。
そこへ吉田神社へ参詣する時平の行列が通りかかり二人は恨みを晴らそうと襲い掛かりますが、時平に仕える松王丸に邪魔をされ、兄弟同士の押し問答になります。しかし車を蹴破って現れた時平に圧倒され二人はどうすることもできず、三つ子の兄弟は間近に迎える父の七十の祝儀を無事済ませるまではと別れるのでした。(車曳の段)三つ子の父親、河内国佐太村に住む百姓の四郎九郎(しろくろう)は、菅丞相の下屋敷を預かり、菅丞相お気に入りの松竹梅の世話をしています。長生きで珍しい三つ子の父親ということを祝し、七十の誕生日に白太夫(しらたゆう)と名を替えさせることにしていましたが、菅丞相の流罪を知り、派手な祝い舞いは遠慮して、小さな餅に茶筅で酒をふり近所に配っていました。
そこへ三つ子それぞれの妻八重、春(はる)、千代(ちよ)が訪れ祝儀の仕度を始めますが、夫たちは姿を見せません。庭の木を息子たちに見立てながら祝儀をし、八重を連れて氏神詣に出掛けます。(茶筅酒の段)出掛けた白太夫と八重と入れ違いに松王丸と梅王丸が順に到着するも桜丸はまだ現れません。吉田神社の遺恨が元で二人は口論から喧嘩になり、よろけたはずみに桜の木が折れてしまいます。(喧嘩の段)
戻った白太夫は折れた桜の木を咎めることなく松王丸と梅王丸からの書付を受け取ります。梅王丸は菅丞相の元へ行くことを願いますが、白太夫は御台所と息子の菅秀才を捜す方が先として聞き入れません。松王丸が願い出た勘当については聞き入れるものの、松王丸の主人である時平と敵対する梅王丸、桜丸を心置きなく討つためではないのかと非難し、二組の夫婦を追い出します。(訴訟の段)
残された八重が夫の身を案じていると納戸に隠れていた桜丸が現れ、菅丞相の流罪の責任を取り切腹すると言います。八重は泣いて引き止めますが、白太夫は八重が祝いに贈った三宝に腹切刀を準備していました。実は朝早くにやって来ていた桜丸から切腹の覚悟を聞き、祝儀が済むまではと忍ばせておいたのです。そして神意を問おうと氏神詣で梅王丸の妻からもらった扇で行った籤の結果と折れた桜の木を見て、これが定めと覚悟を決めていたのでした。白太夫は命を絶ち、後を追おうとする八重を立ち去らずに様子をうかがっていた梅王丸夫妻が留め、後を夫婦に任せた白太夫は菅丞相の元へ旅立つのでした。(桜丸切腹の段)
『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』と並ぶ時代物の三大名作の一作目。近松門左衛門の『天神記』など先行作の趣向を盛り込み、菅原道真(劇中では菅丞相)の大宰府への配流と、丞相のために働いた三つ子とその家族の物語を軸に、二段目「道明寺」、三段目「佐太村」(今回上演された段)、四段目「寺子屋」で三様の親子の別れが描かれている。
ちょうど今回から以前観劇した「寺子屋」へと続くんだなあと思い出しながらの観劇。
いつもこどもの役柄が多い碩さんが杉王丸(玉翔さん)でこども感ゼロだった(当たり前である)。木の名前シリーズだから兄弟なの?と一瞬思ったけれど関係なかった。
車曳の段は、冒頭笠で顔が隠れた梅王丸(玉佳さん)と桜丸(簑紫郎さん)のやり取りから大きなつやつやの茶色い毛の牛とテンプレ的悪い顔の時平(玉輝さん)がばーんと出てきて目力ビームを食らわせたのちなぜかひとり徒歩で消えてゆき、時平に仕えている松王丸(玉志さん)と梅桜の兄弟が一対二でやりあうというショーみたいな内容で面白かった(めちゃくちゃほめてる)
松王丸のかしらか衣裳かなにか分からないのだけれど、玉志さんがぐらっとよろめかれることが2回はあったと思うのであれっと思った。なにかしらのバランスがよくないんだろうか。
白太夫(玉男さん)が御年七十とは思えないお達者さ。よぼよぼさは全くなくものすごく健脚そう。玉男さんのお人形はいつも立ち姿からしてどっしりと安心感があるし、今回もただのおじいちゃんではないオーラ満載の白太夫だった。
思えばそれは、自分の祝儀の朝に桜丸の覚悟を聞き、やがてくる桜丸の切腹までの複雑すぎる心境を隠しながらのことだったからなのだろうか。
桜丸の妻、八重(清十郎さん)がまたよかった。お料理は苦手そう(祝い料理の準備で大根を切っていて怪我をする八重ちゃん)だけれど、そんなところもまたかわいいなと桜丸と白太夫も思っていそうなかわいさだった。
桜丸切腹の段。途中から悲しすぎてずっと泣いてた…まわりの女性客でも涙をぬぐう動作の方がちらほら見えた。新年早々なんて悲しいお話をぶっこむんだろうと思ったけれど、それでもそんな文楽が大好きです。
この段の桜丸は簑助さんだった。登場されたときからずっと死がまとわりついていた。こんな状況で簑助さんのお人形を観ることができたことに感謝です。
あー、こうして思い出しているだけでも涙が出てきそう…
切腹のとき、八重が桜丸からいったん身を離して後ろを向いて耳をふさぐようにしていた動作がものすごく印象に残っている。それを見て一層ぐわっと感情が揺さぶられた。そして、切腹したあとに人形遣いが離れ、残された人形に、ありえないぐらいに「命の終わり」を感じる。恐ろしいほどに。
『仮名手本忠臣蔵』の和生さんの判官切腹のときと同じく、自分と舞台、というか物語とがすっと繋がっている、そんな感覚になって、八重や白太夫、そして桜丸の心境が胸に迫ってきた。今まで人間が演じるどんなドラマや映画を観ても感じなかった「死」というもののリアルを、私にとって訴えかけてきてくれるのがお人形なんだと思う。
あまりに悲しくて、観に行った友人と「悲しいね…」と言いながら帰った。まさかあのショー的楽しさから一転、こんなショックが待っているとは思いもしなかった。文楽って深いなあ。