2019年11月文楽公演『仮名手本忠臣蔵』八段目~十一段目@国立文楽劇場

2019年11月文楽公演ガイドブック

3回に分けて上演された『仮名手本忠臣蔵』、いよいよ最終回となりました。相変わらず客席は満席、私は2列目11番あたりで鑑賞。やっぱり2~3列目あたりがベストだなあと思う。外国人の団体のお客様も多く、忠臣蔵物の人気を実感しました。とにかくすごいすごいと言っているだけの感想ですがあげます。

◆通し狂言『仮名手本忠臣蔵』

八段目
 道行旅路の嫁入り(みちゆきだびじのよめいり)

九段目
 雪転がしの段
 山科閑居の段(やましなかんきょのだん)

十段目
 天川屋の段(あまかわやのだん)

十一段目
 花水橋引揚より 光明寺焼香の段(はなみずばしひきあげより こうみょうじしょうこうのだん)

桃井家(もものいけ)家老の加古川本蔵(かこがわほんぞう)の娘・小浪(こなみ)は、塩谷家(えんやけ)家老の大星由良助(おおぼしゆらのすけ)の息子・力弥(りきや)の許嫁ですが、塩谷家が断絶したため縁談は進んでいません。継母の戸無瀬(となせ)は祝言を挙げさせようと小浪を伴い、東海道を西へと向かいます。(道行旅路の嫁入り)

山科の大星家の住まいに、由良助が祇園から茶屋の衆に送られて朝帰りをします。討入を急ごうとする力弥に、由良助は雪だるまにたとえて、敵討の連判状に名を連ねた者は主のない日陰者、日陰に置けば雪も溶けないように急ぐ必要はない、と諭します。(雪転がしの段)

ようやく山科に辿り着いた戸無瀬親子は、由良助の妻、お石(おいし)に祝言を申し入れますが、家格や本蔵が高師直(こうのもろのお)に贈賄したことを理由に断られます。親子が思い余って死を覚悟したとき、お石は、祝言を許す代わりに引き出物として主君の本望を妨げた本坊の首を望みます。親子が困惑するところに虚無僧姿の本蔵が現れ、お石らを挑発し、わざと力弥の手にかかります。自らの命を懸けて娘の祝言を頼む本蔵に、由良助はついに本心を明かし、高師直の屋敷の絵図面を引き出物として受け取った後、一夜限りの夫婦となる力弥と小浪を残して、虚無僧姿で堺に向かうのでした。(山科閑居の段)

堺の商人・天川屋義平(あまかわやぎへい)は、奉公人に暇を出し妻も実家に帰し、塩谷家の浪人のために密かに武具を調達しています。その義平の店を夜更けに捕手が取り囲み、義平の一人息子を人質に取って浪人への関与について詮議を行いますが、義平は長持に腰かけたまま口を割りません。実はこれは由良助が心ならずも義平を試したもので、敵討の秘密が漏れるのを恐れて義平が妻を離縁した際の去り状などを義平に渡し、復縁する頃には敵討も果たされているだろうと告げて、東国へと旅立ちます。(天川屋の段)

ついに師直を討った塩谷の旧臣一同が主君の菩提寺に向かうところへ桃井若狭助(もものいわかさのすけ)が駆けつけます。若狭助に見送られた一同は、主君の墓前に討入に加われなかった早野勘平の形見の財布を供え、菩提を弔うのでした。(花水橋引揚より 光明寺焼香の段)

もうもう九段目の山科閑居の段が圧倒的に素晴らしかった!久しぶりに興奮で手の平に汗を握りつつ観劇しました。終わったと同時に隣近所から「すごかったなあ!」という声が聞こえてきたのでおそらく私だけではなかったはず。

まず、玉男さんの由良助が帰ってきた感がすごかった。四段目の城明渡しの段の由良助の背中を思い出しました。由良助って結局ほとんど心中を明かしていないんですよね(あくまで私の解釈)。本蔵が娘と戸無瀬のために自らの命を差し出すという一人の父親、その人間臭さに対して、由良助って本当に見えない。
そして、由良助と本蔵の人生があまりに対照的。由良助が力弥をどう思っているのかが全く分からない。同じ親子の立場なのに。というか、今書きながら分かったかもしれない。見えないからこその由良助なんですね!あ、本当にそうだ。だって敵討ちに理由なんていらないし、人間臭さなんて全く必要がない。由良助の敵討ち以外の意思なんて見えたらだめなんですね。そこを見せてしまったら、なんで敵討ちなんてしないといけないの?というパンドラの箱を開けることになるもんね…。えっ、玉男さんすごいな(今更)。私はやっぱり玉男さんの由良助が好き。
そんな由良助だからこそ、後半、庭に降りて立っている姿がなんだかめちゃくちゃ心に沁みました。由良助はそのオーラで大きく見えるけれどお人形自体はそれほど大きくなくて。そんな由良助がさらに小さく見えて、一番由良助の人間味を感じた場面でした。

本蔵は勘十郎さん、妻の戸無瀬は和生さん。玉男さんと合わせてお三方がまたすごい。お人形の遣い方はまだまだ初心者の私が観ても個性の違いが分かる(言葉で説明するのは難しいけれど)のですが、こんなに違っていてすごい方々をひとつの舞台で観劇できることがありがたくて震えましたね…。

勘十郎さんの本蔵、すごくよかったです。自分の贈賄が元となり歯車が狂ってこうなってしまったことを悔い、命をもって罪滅ぼしをしようとする思いがひしひしと伝わってきました。ほんと、なんでこうなった、て思ってしまう。そして、庭に降りて雨戸を外してみせる由良助に、息も絶え絶えな本蔵がこんなことを言うんですよ。

「計略といひ義心といひ、かほどの家来を持ちながら、了簡もあるべきに、浅き工みの塩谷殿。口惜しき振る舞ひや」

ほんまそれよ…ってなりましたよ。いやほんとこれに尽きません?塩谷判官よ…。
私の中の忠臣蔵物の核はこの言葉になりましたね。一般的には討入がクライマックスなんだろうけど。忠誠心にあふれていて仕事もできる立派な臣下なのにね。そんな忠実な臣下たちや家族をも巻き込んでその命を捧げられての敵討ちって、まさに地獄の上にしか成り立たない誰の幸せ、状態。いやあこの本蔵の台詞すごいわ。これを本蔵の口から言わせたということがすごい。

戸無瀬は道行で出てきたところから、なんとかして小浪を嫁がせてやりたいという思いがあふれていました。気迫が伝わりました。お石に祝言を断られてもう生きていけないとなり思い余って娘と二人死のうとするとするところは、おいおい由良助の家で死ぬんかいと冷静に突っ込んだりもしていたのだけれど、とにかくまっすぐで強くてやさしい人。そんな母の戸無瀬が、夫の本蔵が虚無僧姿から身なりを整えるときの扇子の渡し方が、まあものすごく妻でした。視線を本蔵の顔からずっと外さずに扇子を渡すそれだけの動きで、本蔵へのさまざまな想いを想像させてくれる。反対側で小浪も本蔵に何かを渡しているのですが、こちらは何かを持って渡して、と視線が動くので、父に丁寧にものを渡す娘というのが分かって、その違いが面白かった。

情熱的な性格が見え隠れする戸無瀬に対して、由良助の妻、お石もまた種類の違う熱さを秘めた女性でした。戸無瀬が真っ赤に燃える炎なら、お石は青く鋭くゆらめく炎。勘彌さんのお人形を今まであまりちゃんと観てこなかったことを悔やみました。夫のかわりに戸無瀬と冷静に渡り合う強さと、妻として一生懸命に由良助を支えているであろうひたむきさ。きっと家同士の結婚だったのだろうけど、いい夫婦なんだろうなあと思った。

そして、床が本当に素晴らしかったです!山科閑居の段は全段の中でも最も人間臭さと不条理さが劇的に展開する段だと感じたのですが、それは床のすばらしさのおかげだと思います。三位一体の芸術の凄みを体感しました。大きな渦となって飲み込まれた感じ。そうそう、直木賞受賞の大島 真寿美さんの『渦』、読みました。こちらもすごくおもしろかったなあ。

山科閑居の段は、以前、文楽のつどいで『碁盤太平記』のものを映像で観ていたので、よりいっそうおもしろかったというのもきっとあるかも。ほかの段もよかったけれど九段目が最高でした。

 

第121回文楽のつどい@国立文楽劇場

 

『仮名手本忠臣蔵』の三分割の観劇を終えて、今回のような通しでない上演は観に行きやすくありがたいと思っていましたが、いざ観てみるとやはり通しで観たくなってしまいました。ぜいたくですね。分割はどうしたって物語が分断されるし、一部二部の兼ね合いで配役の繋がりも難しかったり。なにより、この物語がもつ圧倒的なエネルギーを体感するには通しでないとというふうに思いました。いつか観られることを楽しみにしています。

 

文楽へようこそ

 

こちらのご本もたっぷりとつまった内容で読み応え十分な一冊でした。玉男さんが一番お好きな役が今回の由良助だそう。観られてよかったです。

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