2019年4月文楽公演『仮名手本忠臣蔵』大序~四段目@国立文楽劇場

2019年4月の国立文楽劇場前の桜

時代物の名作中の名作にしてど定番『仮名手本忠臣蔵』の大序~四段目までを鑑賞してまいりました。今回は勘十郎さんそっちのけで和生さんにはまってしまいました。そして簑助様の圧倒的存在感ですよ。降参です。

◆通し狂言 仮名手本忠臣蔵

大序
 鶴が岡兜改めの段
 恋歌の段
二段目
 桃井館力弥使者の段
 本蔵松切の段
三段目
 下馬先進物の段
 腰元おかる文使いの段
 殿中刃傷の段
 裏門の段
四段目
 花籠の段
 塩谷判官切腹の段
 城明渡しの段

将軍足利尊氏の弟直義(ただよし)は、高師直(こうのもろのお)、桃井若狭助(もものいわかさのすけ)と塩谷判官(えんやはんがん)に新田義貞(にったよしさだ)の兜の奉納を命じ、その鑑定のために判官の妻顔世御前(かおよごぜん)が呼び出されます。師直は顔世に恋文を渡して口説きますが、若狭助に阻まれてしまったため若狭助を侮辱します。
館に戻った若狭助は、家老の加古川本蔵(かこがわほんぞう)に師直を討つ決心を伝えます。本蔵は同意しますが、密かに師直に金品を贈ります。その賄賂のおかげで師直は若狭助には諂いますが、代わりに判官に当たります。判官は堪えかねて師直に斬りつけてしまいます。
判官は切腹を命じられ、今際の際に駆け付けた国家老大星由良助(おおぼしゆらのすけ)に無念の思いを伝えます。そして由良助は形見の腹切刀を懐に入れ、館を去って行くのでした。

 

『仮名手本忠臣蔵』は、主君浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の恥辱をそそぐため、その家臣たちが浪人してのちも47人が結束して吉良上野介義央(きらこうづけのすけよしなお)を討った赤穂事件(1701~1703年)を題材に、二代目竹田出雲・三好松洛(みよししょうらく)・並木千柳(なみきせんりゅう=並木宗輔)が合作し、寛延7年(1747年)8月に竹本座で人形浄瑠璃として初演された。全十一段からなる義太夫浄瑠璃である。
仮名手本、とは赤穂四十七士をいろは四十七文字になぞらえたもの。

 

2019年4月文楽公演の演目

 

恥ずかしながら、忠臣蔵と言えば赤穂浪士、年末年始に長時間かけてドラマでやってる、ぐらいの認識しかありませんでした。なので、そのまっさらな状態を逆に活かすことにし、あまり前知識を入れずに臨みました。
名作なだけあり(というか史実をモデルにしているからか)ストーリーがまずおもしろい。登場人物がたくさんいるけれど、わりとすんなり頭に入ってきます。それはもう技芸員さんの技術の賜物であるのは当然です。初めて観るお人形のかしらもたくさんありました。

嘉肴(かこう)ありといへども食せざればその味はひを知らずとは。
国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るゝに、たとへば星の昼見えず夜は乱れて顕るゝ 例をこゝに仮名書の太平の代の政。

大序の出だしがかっこよくて聞き惚れました。どなたのお声だったのだろう。

主の無念を晴らすための仇討ち物語かと思っていたら、そのきっかけは男女のいざこざで。判官(和生さん)の妻である顔世(四段目が簑助様)が師直(勘十郎さん)をきっぱりとふったことが契機となり、愛する判官が切腹する羽目になってしまうという。顔世自身も、自分のせいでこうなったと認めていて。
判官と顔世、師直のそれとはまったく異なる男女の愛もあって、本蔵の娘小浪(こなみ)と由良助の息子で小浪の許婚力弥(りきや)、顔世の腰元おかるとその恋人で判官の従者勘平です。さわやかでかわいらしく若々しい男女のやりとりと、もの言わぬ判官に泣きつく顔世とがあまりに対照的で、悲しみと絶望がより胸に迫りました。この2組、今後もまた出てくるようなので要チェックです。とにかく、こういう男女の愛憎が物語の厚みを増しているのは明白だと思う。

 

和生さんの判官、すごかった…。今まで拝見してきた和生さんは静かで美しくて抑えた表現のイメージだったのだけれど、今回の判官は、なんというかもう、おかしな日本語なのを承知で書くと、抑制の極致でした。静かにぴんと張っていた糸が切れる瞬間。その極致ゆえの迫力で震えがくるほどに。判官が師直に「鮒侍」と罵られ堪えかねて斬りつける場面、本当に勘十郎さんを斬りつけそうな勢いでした。こんな和生さんのお人形、知りませんでした。
切腹の段も、本当に切腹してしまうのではと思うぐらい怖かったです。切腹したお人形がまさに事切れるんです。お人形であることを忘れました。お人形の死を観たのは初めてではなかったのに、最もリアルに死を感じました。判官の無念が痛かった。
もう次の段からは和生さんの判官を観ることができないと思うとショック…。

簑助様のお人形は本当に不思議で、呼吸しているように見えるのです。というか呼吸してます。あれはなんなのでしょうか。もういっそ恐ろしい。圧倒的存在感でそこにいるのです。美しい顔世。切腹した判官のなきがらに縋り付いて泣く顔世が悲しすぎて涙が出ました。簑助様の顔世を観ることができてよかった。

「なう由良助。さてもさても武士(もののふ)の身の上ほど悲しいもののあるべきか。今夫の御最期に言ひたいことは山なれど、未練なとご上使の蔑しみが恥づかしさに今まで堪へてゐたわいの。いとほしの有様や」

この咲太夫さんの顔世の詩(ことば)が忘れられません。特に、由良助へ語り掛ける「なう」が。私はまだまだ太夫さんや三味線さんの声や音を語れるほどの鑑賞経験もないお人形を追うばかりの初心者だけれど、それでもはっとする場面がたくさんあります。四段目は特に音が少なくなる段。観客もまさに息をのむように舞台を見つめているので、よりダイレクトに響きます。

 

2019年4月の文楽公演パンフレット

 

そんな胸に迫る四段目の最終、城明渡しの段。太夫さんが発する言葉は

『はつた』と睨んで

のみ。判官の形見の短刀を見つめる由良助(玉男さん)。このあまりにドラマチックな演出にしびれました。なんて粋なんだろう!思わずスタンディングオベーションしたくなるほどに。あの劇的さがみじんも伝わりませんが、あれはやはり観ないとだめなやつです。

鑑賞後、いろいろと調べていて知ったのが、通し狂言、とあるのに3公演分割で上演するなんて邪道だ、「通し」なんてつけるべきではないというご意見。しきたりからするともっともなご意見なのだろうと思います。
ただ、私のような初心者、年に数回のお昼の単身外出の機会をかなり前もって段取りをして鑑賞している立場からいうと、純粋にありがたい。一部、二部通しの10時間鑑賞となると、きっと無理なので。全段鑑賞し終えたらやっぱり通しで観てみたいと思うのでしょうが、とにかく鑑賞の機会が欲しい自分としては、ラッキーとしか言えません。しかも、『はつた』と睨んで、からの、次段へ続く!です。どうするどうなる由良助。わくわくが止まりません。

それにしても、日常ではなかなか経験できない感動と興奮を毎度文楽からいただいているわけですが、あらためて自分の言葉でそれを綴るとなると、おのれの語彙力のなさを実感します。文章にするって難しい。それでもとりあえず今後も感情のおもむくまま、鑑賞記録を書いていこうと思います。読んでくださる方に感謝です。文楽っておもしろいよ!

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