2019年1月文楽公演『冥途の飛脚』『壇浦兜軍記』@国立文楽劇場

国立文楽劇場の門松

1月公演はタイミングが合わず2部だけの鑑賞となってしまったものの、またあらたな文楽の魅力を知ることに。観れば観るほどにはまってしまう美しい沼、文楽です。

◆冥途の飛脚(めいどのひきゃく)

淡路町の段(あわじまちのだん)
封印切の段(ふういんきりのだん)
道行相合かご(みちゆきあいあいかご)

飛脚屋亀屋の養子、忠兵衛は遊女梅川と馴染みになり、店のお金に手を付けたり、友人の丹波屋八右衛門(たんばやはちえもん)に多額の借金をしています。国侍や八右衛門の使いから金が届かないという苦情が入る亀屋に帰った忠兵衛のもとに八右衛門が催促に訪れますが、泣きながら弁解する忠兵衛に同情し、忠兵衛が母に取り繕うのに加担してしまいます。やっと届いた為替金の配達に向かうはずが、川向うに浮かぶ花街の灯りに心が揺れ、行ってはいけないと思いながらも向かってしまう忠兵衛の”羽織落とし”が不吉な雰囲気を漂わせます。(淡路町の段)

八右衛門は友のためを思い、廓で苦言を呈します。それを聞いて逆上した忠兵衛は、男の面目から公金の封を切り、その金で八右衛門への借金を返済し、梅川を身請けしてしまいます。(封印切の段)

のちにすべてを明かされた梅川はともに死ぬ覚悟を決め、忠兵衛とひとつの篭籠に乗り、みぞれ混じりの空の下、忠兵衛の故郷新口村(にのくちむら)へと逃れていくのでした。(道行相合かご)

 

文楽1月公演の看板

 

近松門左衛門の世話物の代表作。
毎度ながら、なんでこんなにダメな男に(以下略)というパターンのお話です。11月の『桂川連理柵』の長右衛門に続き、玉男さんのダメでヘタレでどうしようもない男を堪能しました。なんだかこういう役の玉男さんのほうが好きかもしれない!あのときは今回でいう梅川の役回りが勘十郎さん演じるお半ちゃんだったためどうしてもお半ちゃんを追いがちだったのですが、今回落ち着いて玉男さんのクズヘタレ男を観て、逆に魅力的に感じたのでした。
どうしようもない忠兵衛なのにそのバカさ加減がかわいく思えて…、って私も梅川と同じパターン。友や母を裏切って大切なお金に手をつけて、そのお金で好きな子を請け出すという最低さなのですが、ほんの少し、かわいげがあるのがやっぱり玉男さんならではなのかなあと思いました。
対して梅川は終始悲壮感を漂わせている暗美しい(どんな言葉)感じなので、そういう忠兵衛のヘタレなかわいさにはまってしまったんだろうなあと納得。三輪太夫さんの梅川、切なくて暗くてよかったなあ。
封印切の段で、禿(かむろ)ちゃんが『夕霧三世相』という浄瑠璃を三味線で弾き語りするところがあって、私はこういう演出を観たのが初めてだったので魅入ってしまいました(のちに度肝を抜くことになるとはつゆ知らず)。どういうことかというと、実際に三味線を弾いているようにみえるように人形を遣う、ということです。

冥途の飛脚、という題名がまず素晴らしいなと思う。飛脚、というのは忠兵衛の家業のことだということはすぐ分かるけれど、行先ありきの飛脚のはずが『冥途』という行先不明な言葉がセットされることでどんな物語なのだろうと想像がむくむくと膨らみ、『道行相合かご』まで観ると納得のタイトルとなる。近松作品は題名がもうパワーワードだなあ。
文楽って、受け継がれた伝統と技芸員の方々の芸の素晴らしさを堪能しながら、当時の人々の暮らしぶりや名作脚本を立体的に知ることができる、めちゃくちゃすごい芸能コンテンツなのでは、と今更ながら気付いた次第であります。

忠兵衛の故郷、新口村、というのは現代でいうと奈良県橿原市新口町(にのくちちょう)で、奈良育ちの私にとっては馴染みのある土地。近鉄橿原線の新ノ口駅から徒歩で運転免許取得のために教習所へ通い、免許取得するまでに先生に怒られまくって何度も試験に落ちて、取得後もそのトラウマが消えず怖くて一度たりとも運転できないぐらい、教習所でのつらい思い出がメインの土地ではありますが。そんな新口町の善福寺には忠兵衛と梅川の供養碑が、隣の葛本町の安楽寺には二人の墓碑があるそうです。いつか文楽ゆかりの地巡り、なんてしてみたいなあと新たな夢もできました。

 

◆壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)

阿古屋琴責の段(あこやことぜめのだん)

源頼朝の暗殺を企てた悪七兵衛景清の行方を探るため、景清と馴染みの傾城阿古屋(あこや)が呼び出されます。景清の行方を白状しない阿古屋への責め道具として代官の畠山重忠(はたけやましげただ)が用意したのは琴、三味線、胡弓でした。重忠はこれらを阿古屋に弾かせ、その演奏の乱れから阿古屋の本心を探ろうとしたのです。
阿古屋はまず筝曲組歌『菜蕗(ふき)』を琴の調べに乗せ、景清の行方を知らないと返答し、景清との慣れ染めを語り『班女』の一節を三味線で唄いつつ、源平の合戦後景清に逢えない寂しさを語ります。そして『相(あい)の山』『鶴の巣籠』を奏で、高まる夫への想いとその行方を知らぬ身の潔白を訴えます。じっと聴き入っていた重忠は、阿古屋の拷問はこれ限り、景清の行方を知らぬということに偽りはないと許すのでした。(阿古屋琴責の段)

 

近松門左衛門の『出世景清』の改作で、源頼朝に一矢報いようとする平家の侍大将悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)と、それを取り巻く人々の苦悩を描いた作品。

勘十郎さんの阿古屋が登場した瞬間に鳥肌が立ちました。出オチ、とはよく言いますが、これはある意味出オチの究極の形だなと。あんなに華があって美しく外連味たっぷりな女性を私は知りません。度肝を抜かれたのが、勘十郎さんの阿古屋が「弾いているふう」でなく、えっ?!これほんまに弾いてない?!弾いてるよな?!と動揺するぐらいに弾いているところです。あまりのすごさに隣の隣の女性客が「すごい!」と言いながらずっと爆笑していた。正直迷惑でしたがあまりにすごすぎて笑いが出る気持ちは分からなくもない(けれどやっぱり迷惑は迷惑)。ちょっとびっくりしすぎて小学生の作文みたいになってしまうけれど、本当にすごかった。
津駒太夫さんのお声、はじめは勘十郎さんに驚きすぎてちゃんと聴けていなかったのがもったいなかったなあと思う。それこそ隣の隣の女性客に邪魔されてしまったし。じっくり聴きたかった。とにかくお二人の阿古屋、最高でした!

ダメ男ばかり観てきたので、重忠がすごく男前でした、笑。玉助さん&織太夫さんにぴったり。そして文志さんの岩永がおもしろくて。阿古屋が景清への想いを乗せて楽器を奏でている背景であのコミカルさ、ずるい。

 

文楽1月公演のパンフレット

 

パンフレットの「技芸員にきく」のコーナー、今号は勘十郎さんです。盛りだくさんな内容で勘十郎さんファンにはたまりません。ここで、阿古屋の「出」に関することや衣装のことに触れられていて、これを読むともう一度観たい気持ちがますます高まってしまいました(開演までに読む時間がなく鑑賞後に読んだ)。今回のパンフレットの表紙にもなっている阿古屋の衣装は平成26年度に1年がかりで仕上げられたものだそうで、劇場では初登場だったそうです。しかも、牡丹の柄の俎板帯につけられた2匹の蝶は勘十郎さんみずから刺繍なさっていて!もうすごすぎて言葉が出ない…。勘十郎さんのFacebookにはそんな貴重なお写真がアップされていて、これまたファンにはたまりません。

4月からは国立文楽劇場35周年記念として『仮名手本忠臣蔵』を3公演連続で全段上映する、という気合の入りようです。こちらも気合を入れてどっぷりと忠臣蔵の世界につかろうと。あと6月の鑑賞教室か社会人のための文楽入門のどちらかには行きたいと思っています。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。