今回のポスター、妹山背山の段の吉野川を挟んで分かれる舞台が見ものということで、舞台+お人形4人という情報満載スタイルがとてもよき。
そして、公演はまたぐけれども通しで上演されるということで非常に楽しみにしていた『妹背山婦女庭訓』
前回観た部分からは、
・対照的な女性2人から重い愛情を受ける求馬(淡海)の魅力が謎
・爪黒の鹿の血というアイテムの謎
という自分的謎2点がはっきりしなかったので、そのあたりも注目しつつ。
『妹背山婦女庭訓』(いもせやまおんなていきん)
上演された段のあらすじと感想
〇初段
天智天皇の御代、帝は病のために盲目となっており、代わりに政務を司る蘇我蝦夷子(そがのえみじ)が権勢※1を振るっていました。蝦夷子は帝の寵愛を受ける鎌足の娘・采女(うめね)が男子を産めば鎌足は外戚となり天下を取る祈願をしていると主張し、疑いをかけられた藤原鎌足は身の潔白が証明されるまで蟄居※2することとし、禁裏※3を去ります。≪大序 大内の段≫
春日大社にほど近い小松原で、采女に仕える久我之助(こがのすけ)は雛鳥(ひなどり)という娘と出会い、ひとめで互いに恋心を抱きます。ところが久我之助は大判事家の嫡男、雛鳥は太宰(だざい)家の一人娘で、仲たがいをしている家同士の子女でした。2人の様子を盗み見ていた蝦夷子の家来・玄蕃(げんば)はその様子を言いふらすと言いますが、雛鳥の腰元の一人、小菊が吹矢でこらしめ、雛鳥たちは帰っていきました。そこへ采女が密かに禁裏を抜け出したとの報が入り、折よく采女に巡り会った久我之助は、自分が処罰されるのも承知の上で采女の局を逃れさせることにし、連れ立っていきました。≪小松原の段≫
雪見の宴が催されている蝦夷子の館に呼び出された久我之助は、采女が猿沢池に入水した噂は真実でその落ち度により勘当されたため、これからは蝦夷子に仕えたいと申し出ます。
一方、蝦夷子の息子である入鹿は仏道に帰依し、100日目となる今日、生きたまま棺に入ることになっていました。その真意は蝦夷子の謀反の心を諫めるためであると入鹿の妻・めどの方より知らされたため、大望を知られたと察した蝦夷子はめどの方を斬りつけたものの、めどの方の父・中納言行主(ゆきぬし)と大判事清澄(きよずみ)の追及により観念し切腹します。大判事がその首を打ち落としたとき、行主を貫く矢が放たれ、入鹿が現れ、混乱に乗じて政権を掌握してしまいます。≪蝦夷子館の段≫
※1 権力と(それに伴う)威勢。権力をにぎって勢力をはること。
※2 中世から近世(特に江戸時代)武士または公家に対して科せられた刑罰のひとつで、閉門の上、自宅の一室に謹慎させるもの。
※3 天皇が常住する所。皇居。御所。宮中。
大序は通しでないと観ることがないような気がするのだけれど、登場人物や時代、物語のあらましというか骨格というか、とにかくあるのとないのでは大違いだなと思った。
いつも物語を理解するのに必死にガイドブックを読むし、文字を読むことは嫌いではないはずなのに、それでも実際に目で見て聴くとすっと馴染む気がして、立体的にイメージできるような気がした。それが文楽の良さなんだろうなあ。
内容は大判事家と太宰家の確執、いかにもワルな蘇我蝦夷子に天皇の忠臣の藤原鎌足など天下を巡る人間模様などのはしりが提示され、これからの展開にわくわくとしてくるもの。
小松原の段、ハートが飛んでいるような古典的少女漫画な演出が逆に新鮮だった。
扇子の影に隠れてキス、だなんて、もはや風流。
むしろ出会ってすぐの性急さがうぶな2人もしっかり男女なんだと思わせる、そのギャップが妙に生々しく焦りを感じた(おばちゃん目線)
玉佳さんの久我之助のクリーンで爽やかな魅力に一輔さんの雛鳥も一目ぼれするのも納得。
吹矢使いがうますぎる小菊はこの後も活躍を見せるし、脇までキャラが立っていてよい。
急展開の蝦夷子館の段、義父の蝦夷子とその息子で夫の入鹿に翻弄されるめどの方(文昇さん)が不憫だった。
しかも、最終的なワルである夫の入鹿が義父以上の謀反の心を持っていて、完全に騙されていることを知らずに亡くなるんですよね。
ある意味、知らずに逝けたのはよかったのかも、と思うしかない。
前段で胸キュン恋物語を演じていた久我之助もお役目は忘れずに、しっかりと策を練っていて安心した。
〇二段目
寵姫の采女の局が入水したと聞いた天智帝は猿沢池にたどり着きます。入鹿の挙兵を聞き天皇は力を落としますが、盲目の帝を安心させるため、鎌足の嫡男である藤原淡海(ふじわらのたんかい)は、遠見をしたところ禁裏は穏やかな様子に戻っているようだと告げ、禁裏へ戻ると偽り都を離れます。≪猿沢池の段≫
鎌足に勘当された旧臣・玄上太郎利綱(げんじょうたろう)は芝六(しばろく)と名乗り、猟で生計を立てていました。芝六は淡海から、入鹿の魔力を封じるために必要な爪黒(つまぐろ)の牝鹿を手に入れることを命じられ、猟を禁じられている春日神社の鹿を見事に仕留めます。≪鹿殺しの段≫
淡海は帝と側近の公家を借金取りが押し掛けるような貧しい芝六の家に匿わせています。盲目のため実際の居場所を知らない帝は、御所にいるつもりで管絃の催しを所望し、淡海は芝六親子に万歳をさせて急場を凌ぎます。そして芝六は密かに射止めた爪黒の雌鹿の血を入れた壺を淡海に渡すと、鎌足が帝の病の平癒を願っていること、明朝鎌足がやって来て勘当も許されると伝えます。≪掛乞の段≫ ≪万歳の段≫
鹿殺しが発覚し芝六は代官所に呼び出されますが、芝六の長男・三作(さんさく)は、弟の杉松に自訴の手紙を持たせて興福寺に届けさせ、父に代わって連れていかれます。帰宅した芝六は悲嘆に暮れる妻のお雉から様子を聞き、忠義を疎かにしない覚悟を示すために実子の次男・杉松(すぎまつ)を手にかけてしまいます。芝六の行動を見届けた鎌足は帰参を許し、石子詰の刑のために掘った土中より発見された蝦夷子が盗み隠した神器の力で天皇の視力も蘇るのでした。≪芝六忠義の段≫
猿沢池の段では、謎のモテ男、淡海(清十郎さん)登場、続いて謎アイテムも登場する鹿殺しの段へと。
前回の四段目では淡海は勘彌さんだったので当然印象は変わるものの、淡海の名が表すように、なんとなく淡い(どんな表現)、というか、よく言えばやさしげがある、悪く言えば優柔不断っぽそうというか言いなりになりそうというか。
鎌足の息子という育ちのよさはにじみ出ているし、久我之助よりも位は上なのだろうけれど、前回と同じ存在の空気さを感じてしまったのは人形遣いさんの解釈が一致しているのだろうか、それとも何か理由があるのだろうか(新たな謎が爆誕)
それこそがきっとモテ要素なのであろうという暴論に落ち着かせることしかできない。
そして、鹿殺しの段。
この短い段の伏線として、演出としての素晴らしさに全私がスタオベした。
禁猟の爪黒の牝鹿とそれを狩る鎌足の旧臣である芝六と息子の三作。
大序から通しで観ていると歴史的RPGみを感じてしまいRPG好きとしてうずうずしていたのだけれど、この一段があることでファンタジーなエッセンスが一滴加わり、単なる歴史物語で終わらせないお洒落さ…近松半二(だけではなく合作だが)、すごすぎる。制作された時代が少し後というのもあるのだろうか。
余談だが、牝鹿ちゃんがあまりに可憐なバンビなため動揺してしまい、禁猟感がさらに増していた。
芝六忠義の段はひたすらしんどかったな…
忠義のためにこどもが犠牲になる話は本当にしんどい。しかも割とよく観るからたちが悪い。
〇三段目
太宰少弐(だざいのしょうに)亡き後、家を守る定高(さだか)と大判事清澄は、領地の境界を巡り少弐の生前から争っています。入鹿は天智帝と采女を匿っているのではないかと二人に嫌疑をかけ、匿っていないのならば、忠誠心の疑わしい清澄には息子である久我之助の出仕を、定高には娘である雛鳥を妃として差し出すように命じるのでした。≪太宰館の段≫
久我之助は、父・清澄に咎められ国境の背山の山荘に謹慎していました。雛鳥も久我之助を追って川を隔てた妹山の山荘に来ています。それぞれの山荘に到着した親たちは、それぞれの子に事の次第を話します。久我之助は采女の行方を明かさぬため出仕を拒否して切腹することを選び、雛鳥は久我之助との恋を貫いて入内を拒み死ぬことを選びます。命に従わない時はその命を絶つ、との約束を違えて、親たちはそれぞれの子が入鹿の命令に従うことにしたという、偽りの合図に桜の枝を国境の川に流します。久我之助が腹を切り、雛鳥の首が打たれた時、親たちは互いの胸の内を悟り、慟哭します。定高は雛飾りを嫁入り道具として娘の首を川に流し、瀕死の久我之助が待つ大判事家に嫁入りさせるのでした。≪妹山背山の段≫
太宰館の段、ラスボス入鹿(玉志さん)の前に呼び出された清澄(玉男さん)と定高(和生さん)の緊迫した状況に観ている私の心拍数も上がっていたと思われる。
玉志さんの悪役が想像以上にハマっていた。
そして、自分だったら尻尾を巻いて逃げ出してしまいそうになるぐらい威圧感たっぷりな玉男さん清澄を前に一歩も引かず相応にやりあっている和生さん定高がめっちゃかっこよかった。夫亡き後、私が!家を!守る!というあふれる気概を感じた。
初めて観る山の段のセット、素晴らしい。ポスターになるのも納得。
定高と錣さん&宗助さん推しで妹山側にがっつりと席を取って堪能。
もうもう、めちゃくちゃよかった…
途中、簑助さんのお人形を観たときのように、まるで呼吸しているかのような定高のリアルさに鳥肌が立ち、定高と一緒になって泣いている自分がいた。三位一体、むしろ四位一体な没入感だった。
自分が母親だからか、親子の物語ではどうしたって親の視点から観てしまうのだけれど、それにしてもこの段を日本のロミオとジュリエット的悲劇の恋人たちの話、とスポットを当てるのはもったいないように思う。
以前も書いたような気もするが、自分が『妹背山婦女庭訓』に感じるものは大島万寿美さんのご本のタイトルにあるようにまさに『渦』で、入鹿討伐というメインストーリーに否応なしに巻き込まれていく人たちそれぞれの生きざまを縦横に紡いだタペストリーのような壮大な物語なんだと思っているのだけれど、でもじゃあこれをどうキャッチとして表現すればいいかと問われたら…うーんやっぱり難しいな。
アクキーの販売やインスタタグのポストで記念品(ファイルかな?)プレゼント、三部のコラボで近松門左衛門のゆるキャラ「ちかもんくん」が来場、長らく休止していたお弁当売り場の販売も復活し(ビールの販売はない)劇場も盛り上がっていた。
あとはお客さんがもっと増えたらなあ。