2021年4月文楽公演『傾城阿波の鳴門』『小鍛冶』@国立文楽劇場

2021年4月国立文楽劇場ロビーの芝居絵

コロナ禍のため文楽の演目が以前の2部構成(3部のときもあるけれど)から3部構成になるようになって、合間の休憩時間がかなりタイトになっている。劇場に貼ってあるタイムスケジュールを見ても、予定時間が0分、5分の区切りではなくきっちり1分毎になっていて、皆さまがあらゆる面で心底大変だろうと思う。
今回は2部から3部の間の休憩が30分ほどしかなかったため、いつもの焼き鳥屋へ駆け込む余裕もなく、劇場となりのたこ焼き屋でさっと済ませた。17時代の早い時間ということがあったとしても、私以外ノーゲストの店内。飲食店の大変さも垣間見ることに。

◆傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)

十郎兵衛住家の段(じゅうろべえすみかのだん)

これまでのあらすじ

阿波徳島では、若殿玉木衛門之介(たまきえもんのすけ)が傾城高尾(たかお)に溺れている間に、悪臣小野田郡兵衛(おのだぐんべえ)がお家乗っ取りを企てています。預かっていたお家の重宝国次(くにつぐ)の刀が紛失してしまったため、江戸家老の桜井主膳(さくらいしゅぜん)は勘当していた家来阿波十郎兵衛(あわのじゅうろべえ)に刀の探索を命じます。
一方、高尾が先代当主の落胤と知った藤屋伊左衛門(ふじやいざえもん)は高尾を身請けし、許嫁の家を助けるため武太六(ぶだろく)という男から50両の金を借りていました。返済を迫られている伊左衛門を助けた十郎兵衛は、その50両を引き受けるのでした。

上演された段のあらすじと感想など

主家の家宝の刀を探すために盗賊となった十郎兵衛は、女房のお弓と大坂玉造に身を隠しています。十郎兵衛の留守に阿波の徳島から両親を尋ねて旅をしているという幼い巡礼の娘がやってきます。お弓は国許に残してきた娘のおつるだと気づきますが、盗賊として追手のある身でもあり、面倒ごとに巻き込むまいとして名乗りません。身を切る思いで娘を帰すものの、堪えきれずに後を追います。
入れ違いに帰り道で乞食たちに狙われていたおつるを我が娘とは知らず連れ帰ってきた十郎兵衛は、おつるの持っている金を預かって武太六への返済の足しにしようとしますがおつるは応じず、大きな声を出すおつるを黙らせるために口をふさぐとそのままこと切れてしまいました。戻ってきたお弓におつるのことを聞いた十郎兵衛は真実に愕然とし、夫婦は悲しみに暮れます。
おつるの懐には十郎兵衛の母親の書き置きがあり、刀は郡兵衛が盗み持っていることが分かったのですぐに国へ戻り刀を取り返してほしい旨が記されていました。
やってきた捕手を追い散らし、おつるの亡骸とともに家に火をつけ、夫婦はその場を後にするのでした。(十郎兵衛住家の段)

お弓勘十郎さん、おつる勘次郎さん、十郎兵衛玉也さんの代役で玉佳さん。
33年ぶりの上演だそう。

今まで観た演目の中で一番しんどい内容だった。途中しんどすぎて退場したくなったほど。これを超えるものはさすがになかなかないのでは…おつるの不憫さ無念さ、あり得ないでしょう。周りも今まで私が観た中では一番泣いている人が多くて、非常に稀な雰囲気だった。
勘十郎さんのお弓は、ザ・勘十郎さんという感じではなく抑えた感じなのかなと思っていたらやっぱり勘十郎さんらしさがだんだんとほとばしってきていた、特にお弓を追い返して以降。夫が娘を殺してしまった、なんていう場面の心境は推し量るにも無理があるように思えるから、それをお人形で表現するとなるとあんな感じになるんだろうなあと思った。例えばお弓を和生さんが遣うとどんな感じになるんだろうと思ったけれど、それもまた想像できない。とにかくしんどかった。
床は後の靖さん&錦糸さんがよかった。靖さん、やっぱりいい。
そして、何を隠そう、私は2年前に『かみなり太鼓』でにこやかに宙吊りで去って行く玉佳さん&トロ吉を観て以来、玉佳さんのファンなのである。玉佳さんって普段三枚目的なお役やトロ吉みたいなコミカルなお役が多いように思うので、十郎兵衛のような忠義心あふれる部分や人間臭い短絡的な部分、娘への愛情など、感情の揺れがあるお役を観ることができてとてもうれしかった。玉佳さんの十郎兵衛から滲み出た、十郎兵衛本来の父親としての姿が私の感情をほんの少しでも救ってくれたように思う。こういうお役もどんどん観たいなあ。

全体的に、観客の思考が劇的(お芝居的)にもっていかれる、というか、失礼を承知で書くと「お涙頂戴」になりがちな演目なので、その流れを感じた、というか。表すのが難しいのだけれど。観劇をして涙を流したり感動したり、腹が立ったり、というのは受け手として基本の感情だと思うので、そう言った意味ではとても文楽らしい内容だったのかなあと思う。

このあとのあらすじ

十郎兵衛は郡兵衛に捕らえられますが、郡兵衛から横恋慕されている高尾と協力し、ついに刀を手に入れます。郡兵衛の企みはすべて明るくなり、十郎兵衛は帰参が叶うのでした。

◆小鍛冶(こかじ)

あらすじと感想など

京三条の刀工小鍛冶宗近(こかじむねちか)は、勅命により剣を鍛えることになり、自身に劣らぬ腕を持つ者に相槌を任せたいと稲荷明神に祈願します。参拝の帰途、宗近の行く手に老人が現れ、祭壇を設けて祈願するように告げて姿を消します。装束を改め一心不乱に祈る宗近のもとに稲荷明神が顕現し、ともに剣を打ちます。出来上がった剣には表に「小鍛冶宗近」、裏に「小狐」と銘が刻まれていました。
天皇の使者橘道成(たちばなのみちなり)は剣の出来に満足し、喜んで受け取ります。剣は「小狐丸」と名付けられ、稲荷明神は雲に乗って稲荷の峰(現京都市伏見区にある稲荷山)に帰って行くのでした。

前のお話のモヤりが全く晴れないままの小鍛冶。小鍛冶でよかった。
宗近は玉佳さん。2連続のご出演、おそらく左でも出られているだろうから出ずっぱりでお疲れのことだっただろうと思うけれど、ものすごくかっこよかったです。こういうお役もどんどん観たい(貪欲なファン)
稲荷明神は玉志さん。出遣い部分は左は玉勢さん、足は玉路さん。かしらも衣裳も大きくてゴージャス、かつ神様でお狐さまで動きまくるという大変な感じなのだけれど、神様寄り(勘十郎さんは狐寄りな気がするので)小鍛冶の演目にぴったりだったと思う。宗近と稲荷明神がとんかんと相槌をするところ(ちゃんと火花が出ます!)も、まさにあいづち、という感じで楽しかった。
そしてそれを見守る道成(紋秀さん)の微動だにしない見守りに圧倒された。やはり勅使であるという重圧と責任感がそうさせるのだろうか。

2021年4月国立文楽劇場内の小狐丸人形

文楽サイドとしては今回、オンラインゲーム「刀剣乱舞」とのコラボ推しが熱かったよう。残念ながら私はゲーム自体も知らなかったため、劇場でなにやら写真撮影の列ができていたのでとりあえず撮ってみた次第。
撮ってからも結局よく分からなかったのだけれど、これは宝刀小狐丸の擬人形化?小鍛冶きっかけで初めて観劇されるようなお客様向けにガイドブックやチラシとは別に無料のリーフレットもあり、若い観客が少ない(私あたりの年齢ですら若い部類に余裕で入る)現状だし枠を越えすぎないコラボはどんどんあってもいいなと思う。やっぱり何かきっかけがないと文楽観に行こ!ってならないだろうから。

4月公演は、デカサイズの人形たちにおののきつつ、親と時代の犠牲になるこども、という物語にモヤるという内容だった。そろそろ文句ばかり言ってすっきりできるクズ男の話が観たいなと思いつつ。
そして簑助さんのご健康を願っています。

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