2020年初春文楽公演『七福神宝の入舩』『傾城反魂香』『曲輪文章』@国立文楽劇場

2020年新春文楽公演の看板

竹本津駒太夫さん改め六代目竹本錣太夫さん、このたびはご襲名おめでとうございます。もう2月も半ばとなり今更感満載ですが初春公演の記録を。

◆七福神宝の入舩(しちふくじんたからのいりふね)

我が国に向かう宝船では七柱の福の神がにぎやか宴の真っ最中。芸尽くしに興じています。最初に寿老人が三味線で琴の音を聞かせ、次に布袋が歌に合わせ立派なおなかを叩いて腹太鼓を披露します。続いて大黒天が胡弓を奏で、紅一点の弁財天は琵琶を弾きます。福禄寿は長い頭の上に獅子頭をのせて角兵衛獅子を真似てみせ、烏帽子水干姿の恵比寿は手に持った釣り竿で船端を叩き拍子をとり、最後に毘沙門が三味線を披露するのでした。

お正月らしいおめでたい演目で気分が上がりました。船にたくさんの人とお人形が乗っているのでとにかくわちゃわちゃしていていてどこを観ようか視点が定まらず若干忙しいです、笑。お人形がお酒を呑む仕草が非常に好きな自分には最高の演目でしたね。エビスビール風のジョッキなど小道具も凝ったものがたくさん出てきて楽しかったです。友之助さんの胡弓がすごかった。
この演目、52年ぶりに復活したそう。お正月に七福神を観劇するというだけでなんとなくご利益がありそう。

 

◆傾城反魂香(けいせいはんごんこう)

土佐将監閑居の段(とさしょうげんかんきょのだん)

御用絵師の土佐将監の弟子・浮世又平(うきよまたへい)は、庶民に愛される大津絵を描いて生活していました。彼の願いは免許皆伝のしるし「土佐」の名字を名のること。弟弟子の修理之介(しゅりのすけ)に先を越された又平は、狩野(かのう)の弟子の雅楽之介(うたのすけ)の加勢を申し出ますが、武芸で功を挙げることを認めない将監に退けられて、その原因を言葉が不自由なことと思い込んでしまいます。又平は絶望のあまり女房のおとくに死を選ぶことを告げ、一念を込めて自画像を手水鉢に描くと、筆の勢いが石の厚みを通って裏面に抜け出たのです。驚嘆した将監は土佐光起の名を又平に与え、雅楽之介の使者も命じます。はなむけに仏像を二つに切り病を治したという故事に倣って手水鉢を二つに切り分けたところ、又平の口からは師匠への感謝の言葉が滑らかに出るようになりました。そして又平は喜び勇んで出発するのでした。

「反魂香」という言葉を知りませんでした。

反魂香、返魂香(はんこんこう、はんごんこう)は、焚くとその煙の中に死んだ者の姿が現れるという伝説上の香。もとは中国の故事にあるもので、中唐の詩人・白居易の『李夫人詩』によれば、前漢の武帝が李夫人を亡くした後に道士に霊薬を整えさせ、玉の釜で煎じて練り、金の炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという。(Wikipediaより)

どこで死んだ人やら霊やらが出てくるのかこの一段だけでは全く分からないため、全体のあらすじも。

絵師・土佐将監(土佐光信がモデル)の娘は越前で傾城(遊女)となり遠山と名乗っていた。遠山は狩野元信に土佐家の秘伝を伝え、結婚の約束を交わす。しかし、元信は六角左京太夫の娘・銀杏の前に気にいられ、結婚の誓いを立ててしまう。元信は不破伴左衛門らによって捕えられるが、血で描いた虎が絵から抜け出して元信を救う(ここから今回上演された段に続く)。
一方、遠山は遊女から遣手に身を落とし、みやと名を変えながら、ひたすら元信を思い続けていた。みやは元信と銀杏の前の祝言の場に現われ、7日間だけ元信と夫婦にしてほしいと銀杏の前に頼みこむ。銀杏の前はやむなく承諾する。こうして一時の夫婦暮らしが始まるが、みやは既に死んでおり、霊魂が姿を現したものであることが判明する。(Wikipediaより)

元は近松門左衛門作の人形浄瑠璃で、狩野元信の150回忌を当て込んで書かれた作品であり、絵師狩野元信と恋人・銀杏の前の恋愛に、正直な絵師又平(岩佐又兵衛がモデル)の逸話と、名古屋山三と不破伴左衛門との争いから来るお家騒動をないまぜにしたものだそう。現代では今回の通称「吃又」(どもまた)の段がよく上演されるそうですが、めちゃくちゃおもしろそうな話。物語としてシンプルに興味をもってしまうところ、さすが近松作品だなあと思った。
冒頭に現れた虎がなんだったのかも、全体のあらすじを知ってやっと理解できました。それを修理之介が筆でかき消すことで「土佐」の名を名のることを許されたり、又平が一念を込めて描いた自画像が石の反対側まで通り抜けたり、と画力で奇跡が起きる世界観です。

私、このお話、すごく好きだなあ。まず、いつもみたいにどうしようもない男やそれをひたすら支える妻がいないだけでなんだかすがすがしい。出てくる人たちがみんな人間味があって一生懸命で、吃音の夫のかわりにしゃべりまくるおとくは確かに夫を支える妻なんだけれども、なんかこうしみじみと愛情を感じた。
将監は師として厳しいところもあるけれど、弟子たちの才能をちゃんと理解していてしかるべきときにはしっかり評価するメリハリがあるし、その妻もまた静かに又平夫妻を見守っている。修理之介は立場や状況上又平の頼みを聞くことができないものの兄弟子として敬っている。又平を中心にそれぞれの微妙な心情が折り重なっていて、地味めなお話なのに非常に見ごたえがあった。

錣太夫さんの語りはさすがに素晴らしくて、三味線も素晴らしかったなあ。又平って言葉が難しい分、思いを伝えたいという気持ちが動きや佇まいにめちゃくちゃ出ていて、観ていてそれが(伝えたいという思いが)ダイレクトに伝わってきてその無垢でまっすぐで純真な思いに打たれましたね…。勘十郎さんのお人形はいつもすごいけれど、こういう勘十郎さんのお人形が一番好きかもしれないと思った。なんというか、又平が伝えようとする意志そのものがお人形遣いさんにシンクロするというか。うまく書けないけれど。とにかくいいものを観たなあとありがたい気持ちになりました。

 

◆曲輪文章(くるわぶんしょう)
※「文章」は「文」と「章」で一字
外題の文字数を奇数にして、席が割れないように、と願う験担ぎの意味があるそう

吉田屋の段(よしだやのだん)

豪商藤屋の跡取り伊左衛門(いざえもん)は、放蕩を理由に勘当され紙衣(かみこ)を着なければならぬほど零落してしまいました。正月仕度に忙しい大坂・新町の馴染みの揚屋吉田屋に向かった伊左衛門は、亭主の喜左衛門(きざえもん)とおきさ夫婦の厚意で招かれます。傾城夕霧(ゆうぎり)との生活を思い出していると、病を押して夕霧が現れます。伊左衛門は拗ねて邪険な言葉を口にしてしまいますが、伊左衛門を変わらず想い続けていた夕霧にわだかまりは解けます。更に伊左衛門の勘当は赦され、夕霧の身請けのための千両箱が届き、めでたい正月を迎えることになりました。

男前でかっこいい源太(げんだ)のかしらの伊左衛門は玉男さん。放蕩息子のやきもち焼きという例のごとくのダメ男なんだけれど、育ちのよさのためかやたらと品があった。動きも若々しく上品。こんな紙衣を着ないといけないほど落ちぶれてしまったボク、的なことを何度も言って紙衣をディスっていたのだけれど、紙衣でもイケメンでしたね。そりゃ夕霧が惚れるのも分かるわ。けど夕霧と二人になるととたんにこどもみたいになるという、ギャップ男子でもあった。こんなこどもっぽい玉男さんは初めてで私もときめきましたね…。
そして夕霧が!和生さんの夕霧がゴージャスでぴかぴかでびっくりした!あんなにゴージャスな和生さんは初めてでときめ(以下略)。あのお人形、相当重いはずなのに重さなんて全く感じさせない。なんて可憐で愛らしいんだろう。あれだけ豪華な傾城の衣装を着ているのに中身はほんとにかわいらしい一途な女の子って感じで、見た目と中身のギャップにそりゃ伊左衛門も骨抜きになるねと納得。なんだかんだでお似合いの二人でした。織さんも想像以上に夕霧に合っていてよかった。

そしてそしておきさです簑助さんです!出番はほとんどないのだけれど、いてはるだけで雰囲気が違う(ような気がする)。簑助さんのお人形って、いくら言葉ですごい素晴らしい圧倒的美しいと並べ立てても無理なんで、本当に観てほしい…。今回のおきさはもはや人形と人形遣いではなくて、おきさがそこにいました。操作している、ということを感じないんです。人形が自分の意思で動いているように観えてくる…怖いぐらいでした。おきさを観ていると、違う世界にいるような(能や狂言を観ているときのような)気持ちになりました。幽玄的な、小さな宇宙みたいな。

 

なんだか今回は非常にポエミーな表現ばかりになってしまったけれど、三作とも素晴らしかった。今年も元気にたくさん観劇できますように。

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