早くまとめないとあっという間に新春公演がくるということで。
ほんっとうに1年が早い…
11月は2部、3部と同日観劇したのだけれど、どちらも素晴らしくよかった。
『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』※1
これまでのあらすじ
源平の争乱の中、平家は都を追われ須磨に陣を構え、源義経は熊谷次郎直実(くまがいのじろうなおざね)に須磨の若木の桜を守るよう命じます。平敦盛を捕えた熊谷は戦に影響はないと助けようとしますが、味方に責められてやむなく首を討ちました。
上演された段のあらすじと感想など
摂津国御影の郷、正体不明の美しい若衆より石塔の建立を依頼された石屋、白毫の弥陀六(びゃくごうのみだろく)のもとに若衆が石塔の催促に訪れました。しかし弥陀六は留守で、代わりに若衆に思いを寄せる娘の小雪が応対し、気持ちを打ち明けます。しかし若衆は事情あって夫婦にはなれないと形見に錦の袋に入っていた笛を渡しました。
そこへ弥陀六が戻り、連れだって完成した石塔を見に出かけます。(弥陀六内の段)
石塔の前、いつの間にか若衆の姿は消えており、石塔代も取らずに損をしたと百姓たちに話していると、小雪は貰った笛を見せ、人を騙すような人ではないと言います。
そこへ源氏の武士に追われて逃げてきた敦盛の母、藤の局が息子が持っていたはずの青葉の笛がなぜ小雪の手にあるのかと尋ねます。敦盛の最期を知る百姓たちはその様子を藤の局に伝え、例の若衆は敦盛の幽霊ではないかと話します。
泣き伏す藤の局のもとへ番場忠太(ばんばのちゅうた)と須股運平(すまたのうんぺい)がやってきますが、百姓たちは力を合わせて藤の局を匿い、もみ合ううちに運平は息絶えてしまいます。百姓たちが運平を殺したと聞いた庄屋の孫作が遺体を調べても埒が明かないため、源氏方への言い訳をする者をくじ引きで決めるとしたものの、引き当てたのは庄屋自身でした。(脇ヶ浜宝引の段)
一谷嫩軍記、有名だしいつ観られるかなと楽しみにしていた演目。
弥陀六・玉助さん、藤の局・一輔さん、相模・和生さん、熊谷・玉志さん、義経・玉佳さん。
脇ヶ浜宝引の段の咲太夫さんが病気療養のため全日程お休みということで織太夫さんになっていた。
お年がお年だし流行り病もあるし心配。
咲太夫さんのチャリ場、聞いてみたかったなあ。
そんな脇ヶ浜宝引の段、百姓のツメ人形さんたちが6人いて、それぞれしっかり顔や性格、セリフ、持ち物が違っていて、よく観るツメ人形ズよりも個性の表現があって楽しい。
遣っている方も楽しいんじゃないかな、とか思いながら。
が、わざとじゃないとはいえ、結果として運平が死んでしまうという流れが実はとんでもなく恐ろしいよね…
玉佳さんの義経と熊谷桜の段の陣屋で相模を迎える玉勢さんの堤軍次(つつみのぐんじ)が同じ「源太(げんだ)」というかしらなのですが、義経はぱっと見たら分かる高貴で武士でイケメンな感じ(軍次を落とすつもりではないが)なのがいい。
玉佳さん推しなのもあるけれど、コミカルな役もいいし義経もいい。というか今回3部も左で出でらしたし、玉助さんもだけれどもしかして1日出ずっぱり?忙しすぎやしませんか?というか本来がこういう出演回数なのだろうか?
須磨の熊谷の陣屋では、桜の木の前に義経の制札※2が立ち、枝を折ることが禁じられています。そこへ夫や息子の身を案じる熊谷の妻、相模、追手から逃れてきた藤の局がやってきて、2人は思いがけない再会を喜びます。相模にはかつて院に仕えていた頃、熊谷との不義の罪を藤の局に助けられた過去があったため、相模の夫が息子を討ったと知り、過去の恩返しに敦盛の敵を討つ助太刀をするよう迫ります。
そこへ梶原平次景高(かじわらのへいじかげたか)が弥陀六を引き立てて現れたため、相模は藤の局を奥へ案内します。梶原は誰に頼まれて石塔を建立したのか弥陀六を問い詰めますが、敦盛の幽霊だと答えるだけのため、詮議のため奥へと連れていくのでした。(熊谷桜の段)
陣屋に戻った熊谷は、相模に小次郎の手柄や自分が敦盛を討ったことを話したところ藤の局が現れ切りかかりますが、戦の習い故諦めてほしいとやむを得ず敦盛を討った様子を藤の局と相模に語りました。
悲しみに暮れる藤の局が形見の笛を吹いて息子の霊への手向けとすると、障子に敦盛の影が映りましたが、障子を開けても形見の鎧があるだけでした。
首実検のため首桶を携えた熊谷にそのひとめ見ようする藤の局と相模がすがりつきますが、熊谷は2人を跳ねのけます。そこに義経が現れ、この場で首実検が行われることになりました。熊谷は義経の制札を抜き、この制札の意味どおり討った首だと蓋を取ると、首を差し出された義経はよくぞ討ったと応えます。実はその首は敦盛ではなく小次郎のもので、気づいた相模は熊谷に制されます。熊谷は、後白河院の血をひく敦盛を救うため小次郎を身代わりにするよう、義経が制札の内容により示唆していると察し、息子を犠牲にしたのです。
様子を聞いていた梶原が鎌倉の源頼朝へ注進しようと駆け出しますが、弥陀六が投げた鑿(のみ)に倒れます。義経は、弥陀六がかつて伏見の郷で母、常盤らと雪に凍えているところを救ってくれた平家の侍、弥平兵衛宗清(やへえびょうえむねきよ)だと見抜きます。自分の行いが平家を滅ぼすことになった運命を嘆く弥陀六に、義経は敦盛を忍ばせた鎧櫃(よろいびつ)を与え、旧恩に報います。
相模が悲嘆の涙を流す一方で熊谷は鎧兜を脱ぎ有髪の僧となった姿を見せます。その心を汲んだ義経は熊谷の出家を許し、武士道のためわが子に手をかけ出家を選んだ熊谷は、涙をこぼしながら一同に別れを告げ、陣屋を後にするのでした。(熊谷陣屋の段)
※1 ふたばの「攵」は「欠」が正式
※2 「一枝を伐らば一指を剪るべし」と書かれている
熊谷陣屋の段、もうもう相模がつらすぎて泣いた。
ちょうど、首実検後、敦盛ではなく息子の小次郎の首であると知り泣き崩れる相模が私からとてもよく見える位置だったので、相模の一挙一動に釘付けになってしまい。遣う和生さんも倒れるんじゃないか?!とすら思えるような圧倒的絶望感がそこにあった。
首実検、という場面にも言葉にも文楽を観始めてから何度か出合っているものの、何回観ても慣れるものではない(当たり前)
で、この場面、首の入った桶の熊谷が開け、首を見た相模が驚き駆け寄るものの熊谷が踏んで制する、みたいな流れになっていて文字にするとあの緊迫感が全く伝わりませんがとにかくすごかった。
観劇のたび泣いた泣いたと書いているのだけれど、これってやっぱり演者さんが素晴らしく上手だからなんだとひしひしと感じたし、あの一連の流れがびしっと決まっているからこそ、その後の相模の涙が胸に迫るんだろうと思った。
床は錣さん&宗助さん、切が呂さん&清介さん。
必見の名場面です。私もまた観たい。
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2部はゆっくりと午前中を過ごしてから観劇できる時間なので、久しぶりに髙島屋で買い物をして昼食も取ることに。
いつもの鼎泰豊にしようかなとレストランフロアに行ってみると、観光客も戻ってきているためかどこも行列。並ぶのはさすがに時間がもったいないということで、ちょうど待ちのないお店にしてみたら当たりだった。
「まぐろのエン時」というカウンターメインでおひとり様でも入りやすいお店。
店名にもあるようまぐろをいただけるランチセットやどんぶり、単品料理があり、ちょっと豪華にまぐろや小鉢が並んだセットに。
お造り3種、おろしポン酢がのった湯引き、湯葉にいくら、牛しぐれ煮、天ぷらなどおつまみとして最高なラインナップ。
まぐろはもちろんおいしい、お酒がいろいろ揃ってる!ということでもちろんお酒もいただきました。
大好きな奈良の風の森からの秋田の新政の亜麻猫、百貨店のテナントの割にお酒の価格が控えめだったのもよい。