文楽公演が現在の3部制になってからは、全公演を観に行くのがなかなか難しい。
4月公演もとりあえず時間の融通が利く1部はまず予約したものの本当は2部に行きたかったし、自分としてはそれほど盛り上がらない演目(すみません…)
ということでぼーっと会場へ向かっていたら、日本橋駅から劇場への通路にずらっと貼りだされていた3部の演目のポスター(トップの写真)に「なんだこれは?!」と度肝を抜かれた。
なんとなく、観に行かないと後悔することになるような気がして、頑張って予定をねじ込み、観劇の運びとなりました。
『嬢景清八嶋日記』(むすめかげきよやしまにっき)
花菱屋の段(はなびしやのだん)
日向嶋の段(ひゅうがじまのだん)
これまでのあらすじ
平家の侍大将、悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)は、平家滅亡の後、源頼朝を討とうとして捕らえられます。景清を諭し、自分の家来になるよう勧める頼朝の情けに感じ入りますが、頼朝を前にすると恨みの念が沸き起こるのを抑えかねて、自らの両目をくり抜くのでした。
上演された段のあらすじと感想など
駿河国手越宿の花菱屋に、肝煎りの佐治太夫(さじだゆう)が糸滝(いとたき)という少女を連れてきました。糸滝はこの村に住んでいた老婆に育てられましたが、老婆の死後は縁者もなく、まとまった金が欲しいと佐治太夫を頼ってきたのでした。
糸滝は花菱屋の主人夫婦に身の上を話します。老婆の死に際に、父が由緒正しい大名であり、2歳の時に生き別れたことを知ったこと、風の便りでは、父は日向で盲目の乞食になっているということ。今まとまった金があれば、父に官をとらせ一生飢えさせないようにできる。父に一目逢うための暇をもらえたなら、10年20年の勤め方向も厭わない、と泣くのでした。
主人はその孝心に感じ入り、日向へ行くかねと暇をやると言って佐治太夫に旅路の世話を明じ、遊女たちも分に応じた選別を贈ると、しまり屋の女房も負けてはいられぬと、10年の勤めのうち5年を餞別にして、賑やかに送り出すのでした。≪花菱屋の段≫
花菱屋の段は黒衣。
藤太夫さんの語りの主と女房の掛け合いが絶妙で笑わせてもらった。女房のかしら名は「悪婆(わるばば)」というそうなのだけれど、なんてどストレートな名づけなんだ…いやまあどこからどう見ても名前にぴったりなんだけど。
でも観ていると、女房の手のひらで転がされているんですよーなんて言っている主の方が、実は女房の分かりやすい性格をうまく操っているようにしか思えず、夫婦ってこんな感じだよなあというのも妙にリアルでよかった。
肝煎り、という言葉は世話を焼くことの意味しか知らなかったので、「肝煎の佐治太夫」という説明に???となっていたら、
”江戸時代の支配役・世話役、村役人、そして奉公人や遊女をあっせんすること、またそれを生業とする人”
ということだそうだ。現在の意味は派生だったんだなあとひとつ勉強になった。
この佐治太夫(玉志さん)が、たしかにお世話人らしく仕事ができそうで、でも人情味もあるいい感じの人間だった。
糸滝(清十郎さん)の身の上には同情してしまうものの、いきなりやってきて(連れてきたのは佐治太夫だけれど)身の上を語り出し、まだ仕事も始めていないうちから金が欲しい暇もほしいと、ちょっと無茶言い過ぎ、と思ってしまった大人の自分がいた。
でもやっぱりかわいいんだもんなー。主もほだされるのは分かる。
まだまだ幼さが残っていて落ち着きがなくてものすごく必死な糸滝の仕草とか表情が清十郎さんって感じで好き…
日向の荒涼とした海岸で、施しにより命をつないでいる瘦せ衰えた盲目の乞食、悪七兵衛景清は、旧主、平重盛の命日のため位牌を岩の上に据えて合掌していました。一門滅亡の恨みを晴らそうとして失敗したことを思い起こし、大地に泣き伏していると、櫓拍子が聞こえてきました。降りてきた佐治太夫に景清の行方を尋ねられ一旦は知らないと答えたものの、一緒にいるのが娘の糸滝だと悟ると、景清は餓死したと邪見に言い放ち、小屋へ姿を消しました。
佐治太夫は泣き沈む糸滝を励まし、景清を弔おうと通りがかった里人に景清の最期の場所を尋ねると、今の男が景清だと教えられます。里人の呼びかけに現れた景清は、現世を思い切った心境を乱されて腹を立てますが、抱きついて泣く糸滝に、思わずその体を引き寄せ泣くのでした。
佐治太夫は糸滝が身を売ったことを隠し、大百姓に嫁入りして舅の志で金を持参したと伝えますが、景清は武家の身分を全うしないことを怒り、あざ丸の名剣を投げ与え、早く帰れとりつけました。
佐治太夫と糸滝の船が見えなくなり、景清は夫婦仲良く過ごすようにと叫ぶと、里人は佐治太夫から預かった金と文箱を渡します。里人の読み聞かせで、糸滝がわが身を売って金を工面したことが書かれてあることを知った景清は愕然として、金を地面に投げつけ、娘を売った金で老いの命がつなげるかと慟哭しました。景清の心が弱ったところを見て、里人は実は鎌倉からの目付であると身分を明かし、降参を勧めます。目付の言葉と娘の孝心とに心を打たれた景清は、都への船に乗り込むのでした。≪日向嶋の段≫
玉男さんの景清が素晴らしすぎて。
ガイドブックであらすじを読んで、あ、泣くかもと思っていたのに、結果、あまりに圧倒されて涙より鳥肌と汗がひどかった。
重盛の位牌を持ってよろよろと歩いていたところ、虚ろなかたまりみたい。体はめちゃくちゃ大きいのにからっぽ、ちぐはぐな印象。
そこから、糸滝の出現によって一気に生を取り戻した(強引に取り戻された)ときのドラマティックさ。言葉にならないわ…
私が駅通路のポスターで見た場面は、実際は横から撮影された向きなので景清の顔がちょうど正面に見えて糸滝は後ろ向き。
今まで見たポスターの中で断トツに好きだなあ。
いつもお人形一人に寄った美しいお写真が多い中、今回のように、どんな物語なんだろう、2人の関係は、どんな場面なの、と、思わず想像してしまうような、複数人物が移っているお写真も、演目次第でばんばん使って欲しい思う。
千歳さん&富助さんもまた素晴らしかった!
千歳さんのパッションあふれる語り、日向嶋って1時間以上あったよね?! 時間を忘れて聴き入っちゃう語りだった。
普通に考えると長時間一人でずっとしゃべり続けるだけでもしんどいのに、相当なことだと改めて(今更)思った。
パッションあふれる千歳さんの隣でクールに弾いてらっしゃる富助さんからもまた秘めたパッションが伝わってきて、とにかく最高だった。
もう1度観に行きたかったぐらいの演目。
いやほんと、行けてよかったなあ。
休憩明けの『契情倭荘子』。
道行はいつも床を楽しむことにしているのでずらりと勢ぞろい、よかったです。
聖さん薫さんのお若い太夫さんもいらっしゃった!
文楽友の会の令和3年度国立文楽劇場観劇ラリーを達成したので、記念品が届きました。
床本モチーフの巾着袋で、三世竹本越路太夫旧蔵の床本を測定・撮影し、実物と同じ寸法になっている(文字はレイアウト変更されている)
1部の『義経千本桜』の四段目、河連法眼館の段(かわつらほうげんやかたのだん)より、「狐詞(きつねことば)」として有名な詞章だそう。
実用性には少々疑問は残りますが、うん。こだわりは受け取りました。
なにか実用的な使い方、ないかな…
今年度は、本公演以外が土日開催のものばかりだからラリー達成は難しそう。
左下は、最近発売された義経千本桜の静御前手ぬぐい。
大阪発祥の注染という染め方で染められていて、「にじゆら」さんという専門店とのコラボ品。
お値段は少しするけれど(税込み1760円)手間暇かけらた素敵さで、納得の手ぬぐい。
うちではサラダスピナーのかわりに手ぬぐいで野菜の水分を取るので、文楽の手ぬぐいは実に便利で(こちらはとっても実用的)
もうひとつのかしら柄の手ぬぐいもかわいいので、そのうち欲しい。