2021年4月文楽公演『国姓爺合戦』@国立文楽劇場

2021年4月国立文楽劇場の柱広告1

楽しみにしていた近松作品の『国姓爺合戦』。まさか簑助さん最後の舞台になるなんて思いもしなかったけれど、笑いあり涙ありの舞台、あっという間の時間。本当に、ほんとうに観に行けてよかった。

◆国姓爺合戦(こくせんやかっせん)

平戸浜伝いより唐土船の段(ひらどはまづたいよりもろこしぶねのだん)
千里が竹虎狩りの段(せんりがたけとらがりのだん)
楼門の段(ろうもんのだん)
甘輝館の段(かんきやかたのだん)
紅流しより獅子が城の段(べにながしよりししがじょうのだん)

これまでのあらすじ

明国思宋烈(しそうれつ)皇帝のもとに韃靼の王の使者が訪れ、和睦の印に皇帝の后をもらい受けたいと伝えますが、司馬将軍呉三桂(ごさんけい)が反対したため使者は怒り、右軍将李蹈天(りとうてん)が自らの目を抉って差し出しことを納めます。しかし李蹈天は実は韃靼と内通していることを見抜いていた呉三桂は、皇帝を諫めるものの逆鱗に触れてしまい、押し寄せた韃靼の大群に抗戦しながらも妻の柳哥君(りゅうかくん)に皇帝の妹、栴檀皇女(せんだんこうじょ)を託し、柳哥君は皇女を船に乗せて逃がすのでした。

上演された段のあらすじと感想など

明国の鄭芝龍(ていしりゅう)は皇帝に諫言したため追放され、日本へ渡って肥前国(現在の長崎県)の平戸で老一官(ろういっかん)と名を改め、めとった妻との間に生まれた息子、和藤内(わとうない)も立派な青年になりました。平戸の浜で和藤内と妻の小むつは鴫と蛤が争っているところを見て、その隙に両方の獲物を手に入れられると気づき、伝え聞く明国と韃靼国の争いを思いながら軍法の奥義を悟ります。そこへ明国皇帝の妹、栴檀皇女の乗った船が流れつき、老一官から聞き覚えた唐土の言葉で事情を聞きだした和藤内が小むつに乳を呼びに行かせると、入れ違いに老一官夫妻がやってきます。経緯を聞いた老一官は和藤内とともに明国を再興し先帝の恩に報いたいと心を決め、親子別れて唐土へ渡ることにします。和藤内は皇女の身柄を託した小むつに見送られながら唐土へ出発するのでした。《平戸浜伝いより唐土船の段》

今回は日本と中国を舞台としたお話ということで大道具やお人形、衣装も楽しみにしていたところ、まずこの段の蛤のあまりの大きさに度肝を抜かれた。周りも「えっ…蛤でかすぎん?!」という動揺と笑いが。2人が先に拾っている貝もそこそこの大きさだったのでもしやと思ったけれど、あそこまでの大きさとは予想もしなかった。対して鴫が小さすぎてなんだかもう訳が分からない。いや、鴫の縮尺感はきっと間違っていないので単に蛤がでかすぎるだけだろう。しかもなぜか生きているのにぱかぱか開くし、身は下についているはずなのに上についていて、どこを突っ込めばいいのか。とにかく衝撃の大きさの蛤は一見の価値あり。
小むつ(簑一郎さん&小住さん)が生き生きとしていた。デカ蛤に挟まれた鴫を助けてあげるところ、夫を取られたと思って皇女(清五郎さん&咲寿さん)へ嫉妬をしまくるところがめちゃくちゃかわいかった。言葉が通じない、ということもなんちゃって唐土風の言葉で表現されていて、大事な男をよくもきんにょうきんにょう(唐土風言葉)したなこの女!と鍬を振り回そうとしたり、さすが和藤内の妻らしく血気盛んなやんちゃ感。親しみやすいキャラだった。和藤内は玉助さん&希さんで、玉助さんのお役であのようなこっちが恥ずかしくなるような痴話げんか(にしか思えない)がある場面も珍しいなあとも思い、それもまた新鮮だった。そして痴話げんかの発端の栴檀皇女の壁感、あるいはモブ感。
全段通して母、勘壽さんがぐさぐさと心に刺さった。今まで拝見した中で一番素晴らしく心に残った。息子、和藤内(国姓爺)が主人公ではあるけれど、私としてはその父と息子をしっかりと支え導いてきた母を全力で推したい。

親子3人は千里が竹で再会、今後の足掛かりとして日本に渡る際に残してきた娘、錦祥女(きんしょうじょ)を頼ろうと、人目を避けるために再び別行動で娘とその夫、五常軍甘輝(ごじょうぐんかんき)が済む獅子が城を目指すことにします。和藤内と母は竹藪の中で李蹈天の家来たちの虎狩りに出会い、伊勢神宮のお守りの威徳で虎を屈服させ、その力を見せつけた和藤内は、一行を引き連れて獅子が城に向かいます。《千里が竹虎狩りの段》

ふっさふさの毛並みの虎はこれまたドデカな着ぐるみだった。これがものすごくかわいくていい動きをする。けっこうなアクションで虎狩りメンバーをしばき回し、三輪さんのところまでちょっかいをかけにいき扇子で追い払われていた。おいしい動きを分かっている虎だった。この虎の着ぐるみが登場するため普段の舞台(船底)とは違って高いので、玉助さんが一層大きかった。
観念した虎狩りメンバーは和藤内チームについていくこととなり、頭部の飾り?ヘアスタイル?をスパっと切られてちょんまげになっていく様もまた笑いを誘っていた。
2021年4月文楽公演ガイドブックの錦祥女

再び合流した3人は獅子が城に到着しますが甘輝は留守で、それならば甘輝夫人に面会したいと言うと一層警備は厳しくなり門も開かれません。騒ぎを聞いて現れた錦祥女に、老一官は身の上を語り父の名乗をしますが、兵士たちの手前すぐに対面するわけにいかず、父である証拠を求めます。老一官は形見として残した自分の姿絵があるはずだと言うので、錦祥女は肌身離さず持っていた絵を取り出し、鏡に父の顔を映します。歳は取ったものの確かに残る面影に、涙ながらに父への思いを語り、父の甘輝への願いを成就させようと決めます。甘輝が老一官の願いを聞き入れた場合は水路に白いおしろいを流し、そうでなければ紅を流すと決め、韃靼王の掟により他国のものは入城ができないため、苦肉の策として縄をかけた母一人が城へ入ることになります。《楼門の段》

15日に引退を発表された簑助さん(錦祥女)がご登場。熱い拍手が。そうだよね、そうだよねとここで泣きそうになるのを必死に我慢した。
左右に控える官女のツメ人形が持つ大きな唐土風の扇の陰から現れた錦祥女、楼閣の上という高い位置なのもあって、別次元の美しさだった。もうすぐもう簑助さんのお人形が観られなくなるんだと思うと胸がいっぱいになってしまった。このまま違う世界に行ってしまうのではないかと思った。
大きな動きはあまりなくて、その分少しの仕草の美しさが際立つ。首が寸詰まりでなくてすっとしていて、私にはお人形の美しさは首のあたりから漂うように感じられるので、その姿がまず美しくて、簑助さんのお人形にしかないもののように思っている。そしていつものように、あの呼吸しているかのようなリアルな表情と佇まいだった。
思えばこの物語も子どもが親の生き方の犠牲になっている。幼い頃、形見の絵1枚を残して置いて行かれて、どれだけ悲しく寂しく辛い思いを耐えて生きてきたんだろうか。
床は呂勢さんと清治さん。楼閣はセット上あまり高さはないけれど臨場感を出すならば錦祥女の声はもう少し小さくても(そんな単純な話でないのは承知だけれど)いいのかなあと思ったりなどした。ツメ人形兵の「ぶおんぶおん!」は最高だった。

帰城した甘輝は、妻の母と対面し、義理の父老一官と息子和藤内への助力を頼まれます。自身の先祖も明国の臣下であり和藤内の味方だと快諾しながらも、突然錦祥女へ剣を突きつけます、韃靼王から和藤内の討手(うって)を命じられており、妻の縁で味方をしたと言われては末代までの恥、という甘輝の言葉に、親孝行のためなら惜しくないと命を差し出す錦祥女、義理の娘を見殺しにするとはわが身だけでなく日本の恥になると訴える母。2人の姿に涙した甘輝は和藤内と敵対せざるを得ないと決断します。《甘輝館の段》

待ってましたの玉男さん(甘輝)。かっこよかった!なんだか歴史シュミレーションゲームに出てきそうなキャラだった。検非違使のかしらはよく見るけれど、唐土風アレンジでいつもとは違っていて新鮮。
ここからの恩と義理と忠誠と親孝行の応酬にはほとほと参るのだけれど、話のすじとしてしょうがない。この演目、1715年、傾いていた竹本座で初演されてから17カ月続演の興行記録を打ち立てるほどの一大ブームだったようだけれど、当時の観客たちはこの物語になんの不条理も感じずエンタメとして楽しんでいたんだろうなあと思うと、300年の年月の重みを感じる。

錦祥女は水路に紅を流し、和藤内は望みが叶わなかったと知って場内へ駆け込みます。甘輝と対峙した和藤内が剣を抜こうとしたとき、錦祥女が割って入り、体に突き刺さった懐剣を見せます。水に流したのは紅ではなく錦祥女の血だったのです。妻の命を捧げた願いを聞き入れた甘輝は和藤内を大将軍と仰ぎ、延平王国姓爺鄭成功(えんぺいおうこくせんやていせいこう)と名を改めさせ、見事な装束に着替えさせるのでした。2人の姿を見て喜んだ母は、錦祥女の懐剣を引き抜き自身の喉に突き立てます。息子たちを鼓舞し、錦祥女とともに心残りはないと息を引き取ります。2人の最後を見届けた和藤内と甘輝は韃靼王征伐と明国再興のため戦うことを誓い合うのでした。《紅流しより獅子が城の段》

豪華な広間の中央に立派な衣装を着て崇められる和藤内と甘輝、下手の息絶えていく錦祥女と母の身を寄せ合う女2人とがなんという対比の強さだろうか。視覚からも耐え難い不条理さを感じた。
義理の関係ではあるけれどさっきまで会ったこともなかった他人だよ?血は繋がっていなくとも家族は家族、的な生易しい話じゃないんだもんなあ。
とにかく勘壽さんの母が素晴らしかった。母として、のちに息子たちが必ずやってくれると信じた最期だったんだろう。

このあとのあらすじ

国姓爺は甘輝、呉三桂らと協力して韃靼勢と戦い、ついに韃靼王を取り押さえて鞭打ちの後本国へ送り返し、李蹈天を討って大願を成就させるのでした。

2021年4月国立文楽劇場の吉田簑助さん引退のお知らせ

      御挨拶
私 吉田簑助は 2021年4月公演をもちまして引退いたします
1940年 3代目吉田文五郎師に入門し 人形遣いの道を歩みはじめて今年でまる81年 
その間脳出血で倒れ 復帰してから22年 体調が思うにまかせないこともありましたが 
曾根崎のお初も八重垣姫も静御前も再び遣うことが出来
人形遣いとして持てる力のすべてを出し尽くしました
今まで応援してくださったお客様 支えて続けて下さった文楽協会
日本芸術文化振興会の方々 同じ舞台をつとめた太夫 三味線
人形部の方々 そして何より私の門弟たち 本当に感謝しています
お世話になりました ありがとうございました
皆様 どうぞこれからも 人形浄瑠璃文楽を宜しくお願いいたします
   令和3年4月吉日
          三代 吉田簑助

※数字は漢数字

2021年4月15日
国立文楽劇場 トピックス 「吉田簑助が引退を発表しました」より

“持てる力のすべてを出し尽くしました”という重みのある言葉。まさに言葉どおりなんだろうなと思う。お初ちゃんも八重垣姫も静御前も、簑助さんのお人形で見たかったなあ。
思えば、2018年の初春公演、『平家女護島』の鬼界が島の段で簑助さんの千鳥と玉男さんの俊寛で涙が止まらなかった体験が初めての文楽観劇だったことを思うと、なんと貴重で有難いことだったんだろう。あのかわいくていじらしい千鳥がいたから私は一気に文楽が大好きになった。
主遣いはお顔出しなので、お人形だけでなく人形遣いさんの表情など気になって注目してしまうことが多々ある中、簑助さんのお人形だけはお人形からずっと目が離せない。書いたことがあるかもしれないけれど、お能(特に薪能)のあの現世とあちらの境界があいまいになるような、幽玄とでもいうような、いつもお人形の周りに物語の世界の空気や時間の軸が流れているようだった。すっとその世界に連れて行ってくれる、あのお人形たち。もう観られないと思うと本当にさみしい。ガイドブックの人形部紹介のあのお写真も、もう次回から載らなくなるんだな…
これまで長い間、素晴らしいお人形をたくさんみせてくださったことに心から感謝しています。ありがとうございました。

そして千穐楽には簑助さんへ花束贈呈があったそうで、youtubeで見ることができる。簑助さんの後ろで簑二郎さんが支えのためについてらっしゃるのだけれど、登場なさったときからひたすら泣いておられて、むしろ泣きすぎて倒れそうなのを前で簑助さんが支えておられるのではとまで見えるような泣き方。それを見て私もつられて泣くという。これは現場にいたら危ないところだったわ。

2021年国立劇場youtube 【速報!!】<国立文楽劇場4月文楽公演>吉田簑助に引退の花束贈呈!!!

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