2019年6月 文楽鑑賞教室 後半午前の部『五条橋』『菅原伝授手習鑑』@国立文楽劇場

2019年6月国立文楽劇場の看板

鑑賞教室、と銘打っているとおり、学校行事の一環で団体鑑賞されている学生さんや文楽初心者にやさしいつくりになっている公演です。とはいえ団体さんが多いので前方の席を確保するのは大変。自分の都合のつく日がめちゃくちゃ限られているので文楽友の会に入っていなければ絶対前方中央ブロックは無理だな…。入会金1,030円、年会費1,030円なんてすぐにもとが取れちゃう友の会、全力でおすすめします。

◆五条橋

夜の京都の五条橋を舞台に、源氏の貴公子・牛若丸と怪力自慢の武蔵坊弁慶が争う、昔話でもおなじみの二人の出会いを描きます(友の会会報より)

◆解説 文楽へようこそ

◆菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

寺入りの段
寺子屋の段

菅丞相の家来であった武部源蔵(たけべげんぞう)は、芹生の里で妻の戸浪と寺子屋を営んでいます。源蔵は菅丞相の流罪にあたりその息子の菅秀才(かんしゅうさい)を実子と偽り匿り育てています。源蔵が留守で寺子屋のこどもたちは大騒ぎしている中でも菅秀才だけは真面目に勉強しています。そこに、母親に連れられて小太郎という子が寺入り(寺子屋に入学)に来ます。源蔵が留守と聞いた母親は小太郎を預け、隣村での用事を済ませてまた戻ると出掛けました。(寺入りの段)

時平の家来から菅秀才の首を差し出すよう迫られた源蔵は、自分の留守中に弟子入りした小太郎を身代わりに立てることを決意します。検分役の松王丸は菅秀才の顔を知っているにも関わらず小太郎を菅秀才と断定し引き上げました。ほっとする源蔵夫婦の元へ小太郎の母親が迎えに来ました。困った源蔵がやむなく斬りかかると、母親は、小太郎が身代わりとして役に立ったか、と問いかけます。どういうことかと驚く源蔵の前に再び松王丸が現れ、小太郎は自分の子であり、その母親は妻の千代だと告げます。そして、菅丞相の恩を受けながらも敵方の時平の家来となった自分がその恩に報いるため、菅秀才の身代わりとして小太郎を寺入りさせたのだと明かすのでした。(寺子屋の段)

今回、前半の午前、午後、後半の午前、午後と配役がかなり違いました。というか、私は今回初めての鑑賞教室でしたが、なかなかチャレンジ精神あふれる配役。後半は若手の方々がたくさん出ていらっしゃったので、ほんとうに初めての方は前半がよかったんだろうなと思う。
あらためて、いつも観ているお人形や聴いている義太夫節ってすごかったんだなあと。今更だけれど。人形がスムーズに動いて、物語がすっと入ってくる、物語に感情移入できる、という時点ですごいんだという発見。足遣い15年、左遣い15年、ということをひしひしと感じました。うまい、へた、とかそういうことだけではなくて、芸事における経験の積み重ねというものを実感した気がします。もちろんそれは経験だけじゃなく不断の努力やセンスもあるだろうけど。そしてそれは芸事だけではなく、どんなことにも言えることなのだろうけど。

さて、まずは五条橋。有名なお話を立体的に観ることができて楽しかった。牛若丸が貴公子、というより単純にすごくかわいかったです。弁慶もかっこいい。イケメンとかわいい子がきらきらしていてすてきだなと思いました(小学生の作文)。

 

2019年6月文楽鑑賞教室のパンフレット

 

解説、分かりやすかったです!太夫さんと三味線さんのお話は初めてだったので興味深かった。今回はいつもの有料パンフレットではなくて、上のような公演パンフレットと鑑賞のしおり、という文楽の基本情報やおもな作品情報が載っているパンフレットの2種を無料でいただけるのです。この鑑賞のしおりがまた分かりやすくいろいろと教えてくれるのでありがたい。こんなに情報たっぷりな冊子が無料なんて(大阪人は無料が好き)。

そして、『菅原伝授手習鑑』。
藤原時平(ふじわらのしへい)との政争に敗れた菅原道真(物語では菅丞相・かんしょうじょう)が九州に配流されるまでのいきさつ、菅丞相に恩を受けた三つ子の兄弟とその家族の姿を描いた時代物で、『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』とともに三大名作と呼ばれています。
文楽鑑賞をはじめてまだ一年と少しの初心者なので、太夫さんや三味線さんを聴き分けることなんてまだまだできません。が、唯一分かると思っているのが織太夫さん。松王丸が籠から降りてきたとき、あまりにしんどそうで(松王丸は病を患っています、なんの病なんだろう)もうこのままお亡くなりになるのでは?!と冷や冷やしました。前が織太夫さん、後が靖太夫さんだったので、後半の小太郎のことを明かした松王丸は元気になっていてほっとした。
千代と戸浪の対面、寺子屋のこどもたちががちゃがちゃしているところは微笑ましかったです。千代が持参したお弁当?を勝手にこどもたちが食べてしまって、千代が戸浪に、志村、うしろうしろ!的に教えるところなど、生き生きしていて楽しかった。

物語としては、自分も母親なので千代の気持ちが痛くてしんどかった…。涙が出ました。どうしても女性、特に母親に気持ちが入ってしまう。昔の絶対的主従関係は私の想像を超えるものなので、男性の気持ちに寄り添うのは難しい。千代は一輔さん、松王丸は玉志さん。
松王丸が千代に、息子が役に立った、喜べ、と言ってもそりゃあ喜べるわけがないし、取り乱す千代を「未練者」と叱っても、そんな簡単に割り切れるかー!とキレたい。でもそんな松王丸も我が子を失った悲しみは大きすぎて、源蔵から、小太郎は最期ににっこり笑ったと聞き、絶望しながらも笑うのです。ううん、笑いながら絶望してた、のほうがしっくりくる。息子を菅秀才の身代わりにでき、恩義に報えた喜びと息子を亡くした悲しみ、そのアンビバレンツ。
松王丸のお人形は衣装含め10kg以上あるそう(勘十郎さんと玉男さん共著の『文楽へようこそ』で、玉男さんが好きな演目四位であげてらして、ご自身の初演が中学校を出たばかりで菅秀才だったと)。この重さ、すごくないですか?!松王丸って、衣装も頭髪も派手だし、この段だけでも病気だったり息子を身代わりで亡くしたりして難しい役だと思うのですが、そもそもこの重さのお人形をスムーズに扱うだけで難しそう。重さに気を取られたら力みばかりが目立ってしまいそうで。玉男さんの松王丸、観たかったな。そうそう、パンフレットの熨斗のような病鉢巻をしているお人形が松王丸です。

余談ですが、若手の方々の中でもやはり一輔さん登場時には拍手と「一輔さーん♡」とコールが。やっぱりファンがいらっしゃるんだなあ。

公演パンフレットには床本(太夫さんが語る物語)もしっかりと載っています。今回ほほうと思ったのは、寺子屋の段のラスト、松王丸と千代が小太郎を野辺の送り(葬式)をする場面。

いろは書く子をあへなくも、散りぬる命是非もなや。
明日の夜誰か添え乳せん。らむ憂ゐ目見る親心、剣と死出のやまけ越え、あさき夢見し心地して、あとは門火に酔ひもせず、京は故郷と立ち別れ、鳥辺野さして連れ帰る

この詞章はいろは歌をなぞらえていて「いろは送り」と呼ばれています。言葉を読むだけでも名文だなあと思う。馴染みのある節だからこそしみじみと切なく胸に迫りました。

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